2000–2009
福音は真実ではないのですか。それなら,ほかのものが何だというのですか
2007年4月


福音は真実ではないのですか。

救い主とその末日の業に対する確信は,強力なレンズとなり,わたしたちはこのレンズを通してほかのあらゆる事柄を正しく判断できるようになります。

わたしは今日,1973年4月の総大会でヒンクレー大管長が話したことをテーマとして採り上げたいと思います。

そのころ,わたしは伝道から帰ったばかりで,前途には多くの出来事が待ち受けているように思われました。これからの生涯を通じて常に正しい選択ができるかどうか不安でした。

当時のゴードン・B・ヒンクレー長老は,アジアからやって来た若い海軍将校と会ったときのことについて話しました。その青年はもともとキリスト教徒ではありませんでしたが,合衆国での訓練中に教会について知り,バプテスマを受けました。青年はこれから祖国に帰ろうと準備をしているところでした。

ヒンクレー大管長は,彼にこう尋ねました。「故国の人々はキリスト教徒ではありませんね。キリスト教徒として,特にモルモン教徒として帰国されることで,何か支障はありませんか。」

青年は顔を曇らせ,こう答えました。「家族はがっかりするでしょう。……この先は仕事でもあらゆる機会から見放されると思います。」

ヒンクレー大管長はこう尋ねました。「福音のためにそれほど大きな代価を,喜んで払うおつもりですか。」

黒いひとみに涙を浮かべたこの青年は,こう聞き返しました。「福音は真実ではないのですか。」

ヒンクレー大管長は答えました。「そのとおり,真実です。」

すると次のような言葉が返ってきました。「それなら,ほかのものが何だというのですか。」1

わたしはその青年の言葉について長年考えてきました。「福音は真実ではないのですか。それなら,ほかのものが何だというのですか。」わたしはこの二つの質問のおかげで,様々な難しい問題に正しい観点から対処することができました。

わたしたちが力を傾けているこの大義は真実です。わたしたちは友人や隣人の信奉していることを尊重します。わたしたちは皆,神の息子,娘です。周囲の人々からも,信仰や慈しみについて多くを学ぶことができます。そのことについては,今日ファウスト管長が非常によく教えてくれました。

しかし,わたしたちはイエスがキリストであられることを知っています。イエス・キリストは復活しておられます。わたしたちの時代に,預言者ジョセフ・スミスを通じて神の神権が回復されました。わたしたちには聖霊の賜物が与えられています。モルモン書はわたしたちが主張するとおりの書物です。神殿の約束は確かなものです。末日聖徒イエス・キリスト教会に与えられている他に類のない特別な使命について主御自身が宣言されました。それは,この教会は,「世の光」であり,そして「〔主〕の前に道を備える使者」2であり,さらに「福音は地の果てまで転がり進む」3というものでした。

福音は真実ではないのですか。それなら,ほかのものが何だというのですか。

もちろん,わたしたちのだれもがそうですが,ほかにも大切なことはあります。ヒンクレー大管長の話を聞いた21歳のときに,わたしは勉学について真剣に考える必要がありました。学業を続けるために働く必要もありました。また,ある特別な若い女性に,どうすればわたしと結婚するよう説得できるか考えなければなりませんでした。そのほかにも価値ある事柄を楽しみながら行いました。

では,多くの大切なことの中からどのようにして道を見いだすべきでしょうか。物の見方を簡潔にし,純粋にする必要があります。邪悪で避けるべきものもあり,良いものもあり,大切なものもあり,絶対に不可欠なものもあります。救い主はこう語っておられます。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。」4

信仰とは単なる感情にとどまりません。信仰とは決意です。祈り,研究,従順そして聖約によって,わたしたちは自らの信仰を築き,強固にします。救い主とその末日の業に対する確信は,強力なレンズとなり,わたしたちはこのレンズを通してほかのあらゆる事柄を正しく判断できるようになります。人生の試練の中にあっても,オークス長老が今日説明したように,正しい道を歩む力が得られるのです。

ヒンクレー大管長はそのことを次のように言っています。「人が偉大で力強い真理の確信に基づいて行動するときには,自分から進んで鍛錬するものです。しかも,教会がそのように要求するからというのではなく,心の中に確信があるからするのです。」5

わたしたちは「偉大で力強い真理の確信」に十分に動機づけられているでしょうか。わたしたちの選択はその動機に基づいているでしょうか。わたしたちは自分がなりたい者になりつつあるでしょうか。福音は真実ではないのですか。それなら,ほかのものが何だというのですか。

わたしたちは何が正しいか知っています。数年前に,妻のキャシーは娘夫婦が不在のときに孫たちと過ごしました。4歳になる孫が弟を強く押したので,妻は,泣いている弟をあやした後で,その4歳の兄に向かって優しく尋ねました。「どうして弟を押すの。」孫はわたしの妻を見て,こう答えました。「おばあちゃん,ごめんなさい。CTR(正義を選べ)の指輪をなくしちゃったから,正しいことが選べなくなったの。」わたしたちは気をつける必要があります。言い訳は進歩を妨げるのです。

「偉大で力強い真理の確信」は,世界中の様々な国に生きる末日聖徒の心の中に見いだすことができます。この固い信仰によって王国の業は前進するのです。

何年も前のこと,妻とわたしはフランスで,勇気ある一人の姉妹に会いました。彼女の夫は30代の若さで幕のかなたへ行ってしまいました。彼女は独りで4人の幼い子供を義にかなって教え導くという責任に押しつぶされそうになっていました。けれども16年後,彼女の3人の息子は伝道から帰り,娘は神殿で結び固められていました。

わたしはブラジルに住む一人の兄弟を知っています。この兄弟は16歳のときに教会に加わりました。家族の中で会員は彼一人でした。伝道に出る時期が来ましたが,両親から反対されました。伝道中,家族からの便りは1通もなく,伝道から帰ると,ビショップの家で生活するようになりました。しかし,事情は後で好転しました。この兄弟は,現在すばらしい家族に恵まれ,歯科医として働いています。両親はこの兄弟の成功を見てほかの息子たちも教会に興味を持ってくれればよいのにと願っています。

わたしはラテンアメリカのある国に住む一人の兄弟を知っています。この兄弟はバプテスマを受けた後に,什分の一を正直に納めようと決心しただけでなく,競争相手が納めていない税金も完全に納めようと決心しました。主はこの兄弟をその正直さのゆえに祝福されました。

多くの犠牲がひそかに払われています。例えば,永遠の伴侶を探す責任を引き延ばさない帰還宣教師,子供を望み,自分の生活をささげて愛と真理のうちに子供を育てる義にかなった女性,霊を汚すメディアやインターネットの影響を注意深く制限する家族,もっと頻繁に一緒に神殿に参入できるように努力する夫婦がそうです。

子供もこの信仰のレンズを持つことができます。最近,わたしは韓国のソウルに住む青少年に会う機会がありました。彼らは学校のスケジュールがぎっしり詰まっていて,毎晩遅くまで家に帰ることができませんが,それでも毎週5日間は朝の6時から始まる早朝セミナリーに出席しています。わたしは8歳の野球少年を知っています。彼はチームの主力選手ですが,決勝戦には参加できないことを自分からコーチに告げました。決勝戦の開催日が日曜日だったからです。

深い信仰に根ざしたひそかな行いの多くは,神だけが御存じです。しかし,そのような行いは天に記録されています。福音は真実ではないのですか。それなら,ほかのものが何だというのですか。

救い主はこうおっしゃいました。「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば,これらのものは,すべて添えて与えられるであろう。」6

わたしは福音が真実であること,また福音こそが真に重要なものであることを証します。イエス・キリストの御名によって,アーメン。