2000–2009
「もしこの古い壁が口を利けるとしたら」
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「もしこの古い壁が口を利けるとしたら」

100年以上の間,末日の預言者,聖見者,啓示者の言葉が,この説教壇から世に発せられてきました。

ゴードン・B・ヒンクレー大管長は,2004年10月の記者会見でこう語りました。「わたしはこの建物に敬意を抱いています。この建物を愛しています。大切に思っています。この建物を残したいのです。……古い,元のままのタバナクルの弱くなったつなぎ目をしっかりとつなぎ,強化して,ありのままの,すばらしい美しさを残したいのです。」それからわたしを見てこう言いました。「手を加えるべきでないところには一切手を加えないでください。手を加えるなら巧みに,正しくやってください。」1

この心揺さぶる,しかし恐ろしい言葉とともに,わたしたちにある責任が任されました。古い,元のままのソルトレークタバナクルを守り,強化し,再び卓越した働きができるように新たな活力を与えてよみがえらせる責任です。

愛する大管長,本日わたしたちは,新たに磨きをかけられ,歴史の優美さを保ったまましっかりと固定されたこの高齢の建物をお渡しします。とはいえ以前より少々快適です。管理ビショップリックは誇りをもって,2,000人以上の職人とともに,「古い,元のタバナクル」をお返しします。100年間の保証付きです。

「古い,元のままのタバナクル」を復元するようにというヒンクレー大管長の求めは,建築および構造上の難題に判断を下す際の基準となりました。この言葉はプロジェクトの真髄と目的を表すために用いられました。「すべての塔の上」や「行く先々の」2必要な場所で高く掲げられたため,司令官モロナイの自由の旗のようでした。

もしこの古い壁が口を利けるとしたら,FFKR設計事務所,ジェイコブセン建設,また何よりも重要な教会のプロジェクトチームなど,この複雑な計画を実現可能にした技術者に,声を合わせて感謝を述べるでしょう。ある主任技術者はこう言いました。「互いに意見を交わすことにより,本来持っている以上の力を主から受けました。」

プロジェクト関係者は皆,タバナクルの美しさや,元のタバナクルを建設した人たち,そしてその技術の高さに多大な敬意を抱きました。100年以上の間,末日の預言者,聖見者,啓示者の言葉がここから語られてきたことに驚嘆しました。

もしこの古い壁が語れるとしたら,きっと新しい堅固な土台があることに感謝を述べるでしょう。高く直立できるよう壁を支える,新しいスチールベルトに喜びを感じるでしょう。また,天井から14層のペンキを取り除いて,新たにきれいに塗装を施したことにも感謝することでしょう。

この古い壁は,光沢のある新しいアルミ製の屋根に守られ,美しくなったことに感謝するでしょう。また,幾らか座り心地が良くなったいすや,前列との間隔が少しゆったりしたことに気づいて喜ぶ利用者の笑顔を,あの長いすとともにうれしそうに眺めるでしょう。

この古い壁は,霊感あふれる音楽の調べを以前にも増して響かせる新しい設備を歓迎し,感謝するでしょう。

想像しかできませんが,古い壁たちは,これまで何年も注意深く耳を傾けてきた多くの説教を思い出すことでしょう。

もしこの古い壁が話せるとしたら,1918年10月に,「わたしたちはここにいた!」と叫ぶことでしょう。ジョセフ・F・スミス大管長が長期にわたる闘病生活の中で総大会に出席し,最初の部会で感極まりながらこう言ったのです。「今朝は心に去来することの多くをあえて語ろうとは思いません。それはもう少し先に延ばしたいと思います。そのときになれば主は,わたしが考え,心に感じていることを皆さんに告げる試みを喜んで受け入れてくださるでしょう。」スミス大管長は続けて述べています。「この5か月の間,わたしは独りではありませんでした。祈りと嘆願と信仰と決意の霊の内にあり,絶えず主の御霊みたまと交わっていたのです。」3後日,スミス大管長が大会の前日に,死者の贖あがないに関する示現として記録されている啓示を受けたことが分かりました。この示現は後に教義と聖約第138章になっています。

もしこの古い壁が語れるとしたら,大恐慌時代の沈んだ,暗い日々について思い出させてくれるでしょう。1936年4月の総大会で,ヒーバー・J・グラント大管長は教会の保全計画を開始することを発表しました。これは後に教会福祉計画と呼ばれます。6か月後,グラント大管長はこう説明しました。「わたしたちの第一の目的は,可能なかぎり,忌まわしい怠惰や施しのもたらす悪弊を排除し,独立心,勤勉,倹約,自尊心を再びわたしたちの間に確立することである。教会の目的は,人々の自立を助けることである。勤労が再び教会員の生活を貫く原則にならなければならない。」4

1964年10月,デビッド・O・マッケイ大管長の指示により,ハロルド・B・リー長老は親の責任について話しました。これらの壁は,1915年に教会員に向けて書かれた大管長会の手紙を読み上げるリー長老の声を覚えているでしょう。手紙を読み上げる前に,リー長老はこのように言いました。「これはマーク・トウェーンが天気について言ったのと似ている気がします。『わたしたちは天気についてよく話すが,それをどうにかしようとはしない。』」それからリー長老は50年前の手紙を読みました。

「わたしたちは全教会で『家庭の夕べ』を始めるように勧告し,また強く求めます。父親と母親はこのひととき,家庭に子供たちを集めて,主の言葉を教えることができます。……」

そして次の約束が続きます。

「聖徒たちがこの勧告に従うならば,大いなる祝福がもたらされることをわたしたちは約束します。家庭に愛が満ち,両親に対する従順が増し加えられるでしょう。イスラエルの若人の心に信仰がはぐくまれ,襲いかかる悪の力と誘惑に立ち向かう力を得ることでしょう。」5

また,この古い壁たちは,1985年の総大会の話者として,ブルース・R・マッコンキー長老の名前が挙がったときにタバナクルが静まり返ったことを覚えています。マッコンキー長老が次の感動的な言葉で話し終えたとき,この古い壁たちは深い畏敬いけいの念を抱いたことでしょう。

「そして,神の血を流すことによってなされた完全な贖罪しょくざいに関して,わたしはそれがゲツセマネとゴルゴタで行われたことを証あかしします。またイエス・キリストに関して,イエスが生ける神の御子であり,この世の罪のために十字架におかかりになった御方であることを証します。イエスはわたしたちの主であり,神であり,王であられます。わたしはこのことをほかのだれにも頼らず,自分自身の知識として知っています。

わたしは主の証人の一人であり,いつの日か主の御手みてと御足みあしの釘跡くぎあとに触れ,主の御足を涙でぬらすことでしょう。

しかし主が神の全能の御子であられ,わたしたちの救い主,贖い主であられ,また救いが贖いの血以外の何ものからももたらされないとの知識は,今と何ら変わることがないのです。」6

1995年に,ゴードン・B・ヒンクレー大管長は教会の女性にこう語りました。「真理という仮面をかぶった詭弁きべんがあふれており,倫理基準や価値観に対する欺瞞ぎまんが後を絶たず,じわじわと世の汚れに染めていこうとする誘惑があまりにも多い現代において,わたしたちは皆さんに警告したいことがあります。現在起こっていることと,これから起こることの両方に対する警告です。」ヒンクレー大管長はその後でこのように読み上げました。

「わたしたち,末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長会と十二使徒評議会は,男女の間の結婚は神によって定められたものであり,家族は神の子供たちの永遠の行く末に対する創造主の計画の中心を成すものであることを,厳粛に宣言します。……

夫婦は,互いに愛と関心を示し合うとともに,子供たちに対しても愛と関心を示すという厳粛な責任を負っています。『子供たちは神から賜わった嗣業しぎょうであり』(詩篇127:3)とあります。両親には,愛と義をもって子供たちを育て,物質的にも霊的にも必要なものを与え,また互いに愛し合い仕え合い,神の戒めを守り,どこにいても法律を守る市民となるように教えるという神聖な義務があります。夫と妻,すなわち父親と母親は,これらの責務の遂行について,将来神の御前みまえで報告することになります。」7

わたしはこのたぐいまれな建物に感謝しています。タバナクルは,過去に対する神聖な記念碑であり,将来への希望を表す壮大なしるしです。天の愛ある御父の神性を証します。また,わたしたち一人一人に対する救い主のあふれんばかりの愛を証します。神の預言者によって導かれていることを心から感謝し,イエス・キリストの御名みなにより,アーメン。