2000–2009
感謝──幸福への道
2007年4月


感謝──幸福への道

感謝はに満ちた原則です。感謝することにより,生ける神の豊かな恵みに満ちた世界を知ることができます。

今日は,まさにこのタバナクルにおいて,代々の扶助協会の指導者たちを代表することを光栄に思います。彼女たちはここで,王国の教義を教え,家庭や家族の中での女性の役割の重要性を力説し,互いに慈善奉仕をするように呼びかけ,義にかなった生活をすることから得られる喜びを姉妹たちに思い起こさせてくれました。

1870年に,エライザ・R・スノーは何千人もの女性にこの壇上から一つの質問をしました。今日その質問を繰り返したいと思います。「この地上で,末日聖徒の女性のように自由であり,また高貴で輝かしい特権を得ている女性がほかにいるでしょうか。」1わたしは末日聖徒イエス・キリスト教会の女性が高貴で輝かしい特権を得ていることを証します。

祝福のかご

すばらしい話を一つ紹介します。ある家族は大変な時期を迎えていました。目の前の難問で頭はいっぱいでした。その家族の母親はこう書いています。「わたしたちの生活はめちゃくちゃになっていたので,天の御父の導きを求めました。そうするとすぐに,わたしたちの周りには良いことがたくさんあり,あちらこちらから励まされていることに気がついたのです。そこで家族みんなで毎日,主に対してはもちろん家族にも感謝を伝えることにしました。親しい友人から,あなたの家族の『祝福のかご』はあふれているわねと言われました。その言葉からヒントを得て,わたしたちはあるゲームを思いつき,子供たちと一緒に楽しむようになりました。毎晩家族の祈りをする前に,その日のことを話し合い,『祝福のかご』に加えられた多くの祝福を互いに分かち合うのです。感謝を表せば表すほど,感謝するべきことが増えてきました。このように成長する機会が与えられ,主の愛をとても深く感じました。」2

「祝福のかご」は,皆さんの家族をどのように祝福してくれるでしょうか。

御霊に満ちた原則

感謝するには,感謝の気持ちを認識するだけでなく,感謝を表現する努力が必要です。わたしたちはしばしば主の御手みてに気がつかないことがあります。わたしたちは,つぶやいたり,不平を言ったり,反抗したり,批判したりします。感謝の気持ちを抱かないことが実に多いのです。モルモン書は,つぶやく者は「自分たちを造られたあの神の計らい」3を知らないと教えています。主は,つぶやくと御霊の働きが妨げられるので,つぶやいてはならないと教えておられます。

感謝は御霊に満ちた原則です。感謝することにより,生ける神の豊かな恵みに満ちた世界を知ることができます。感謝することによってとても小さな事柄のすばらしさを,霊的に認識できるようになります。小さな事柄の中にある神の愛のメッセージによって,わたしたちの心は喜びます。このように感謝するべきことを認識できるようになると,神からの導きをより敏感に感じるようになります。感謝を伝えると,わたしたちは御霊に満たされて周りの人や主と結ばれるのです。感謝は幸福を吹き込み,天の力を運びます。アミュレクは,「神が授けてくださる多くの憐あわれみと祝福を日々感謝しながら生活するように」4と言っています。

憐れみと祝福は,様々な形で訪れます。時には困難な事態として訪れることもあります。にもかかわらず,主は言われました。「あなたはすべてのことについて,主なるあなたの神に感謝しなければならない。」5「すべてのこと」とはその言葉どおり,良いことも困難なことも全部です。「幾つか」ではありません。主は感謝の気持ちがあれば幸福になれることを御存じなので,すべてに感謝するようにと命じておられるのです。これも神の愛の一つの表れです。

だれかから感謝を伝えられたら,どう感じますか。ある日曜日,わたしは扶助協会で,ある姉妹の隣に座り,彼女についてもう少しよく知ることができました。数日後,次のような電子メールを受け取りました。「扶助協会で娘の隣に座ってくださり,ありがとうございます。あなたは娘の肩を抱いてくださいました。それが娘とわたしにとってどれほど大きな意味を持つかお分かりにはならないでしょう。」6わたしはこの母親の言葉に驚き,そして,とても幸せな気持ちになりました。

皆さんがだれかに感謝を伝えるとき,どう感じますか。わたしの孫たちの世話をしてくださっているある人に感謝を伝えたいと思います。数か月前テキサスへ行ったとき,6歳のトーマスに,彼のビショップはどんな人か聞きました。するとトーマスは言いました。「あのね,おばあちゃん,見たら分かるよ。黒っぽいスーツを着ていて,パパのような白いワイシャツを着ているよ。靴はピカピカで,赤いネクタイをしているんだ。眼鏡をかけて,いつもにこにこしているよ。」トーマスのビショップに会ったとき一目で彼がその人だと分かりました。わたしはビショップへの感謝でいっぱいになりました。グッドマンビショップ,そしてすべてのすばらしいビショップの皆さん,ありがとうございます。

信仰の表現

ルカによる福音書第17章には,救い主が重い皮膚病にかかっていた10人の人を癒いやされたときのことが記されています。御存じのように,癒された10人のうち,神に感謝を伝えるために帰って来たのは,たった一人でした。興味深いのは,主は「あなたの感謝があなたを救ったのだ」とは言われず,「あなたの信仰があなたを救ったのだ」7と言われたことです。

救い主は彼の示した感謝を,彼の信仰の表現であると認められました。優しいけれども御姿を見ることのできない天の御父に,祈りを通して感謝を表すとき,わたしたちは神への信仰をも表しています。感謝することは,わたしたちの生活に主の御手があることを快く認めることです。つまり信仰を表すことなのです。

苦難の中での感謝──隠された祝福

1832年,主は来きたるべき苦難に対して教会員に備えをさせる必要があることを御覧になりました。苦難は恐ろしいものです。にもかかわらず主は言われました。「元気を出しなさい。わたしがあなたがたを導いて行くからである。天国はあなたがたのものであり,その祝福もあなたがたのものであり,また永遠の富もあなたがたのものである。

すべてのことを感謝して受け入れる者は,栄光を与えられるであろう。」8

苦難さえもありがたく受け入れるという感謝の心には次の条件が求められます。打ち砕かれた心と悔いる霊,変えられないことを受け入れる謙虚さ,たとえ理解できないときでも主にすべてをゆだねること,まだ明らかにされていない隠された機会に感謝する気持ちなどです。平安が訪れるのはそれからです。

試練や苦難に対して皆さんが最後に主に感謝したのはいつのことだったでしょうか。逆境にあるとき,わたしたちは祈らずにはいられません。同じように,逆境に対する感謝の祈りもささげているでしょうか。

デビッド・O・マッケイ大管長はこう述べています。「苦しい逆境にあるときこそが,わたしたちの感謝の心が真に試されるときです。……それは……生活の表面的な悲しさや楽しさに左右されない深い感謝です。」9

終わりに

驚嘆すべき,信仰篤あつい,教会の姉妹であり,わたしの姉妹である皆さん,皆さんが奉仕を通して主の愛を示していることに感謝しています。また,愛する人を亡くした家族への配慮,訪問教師としての気配り,初等協会で子供たちの証を築こうとする努力,若い女性が女性らしい特質をはぐくむ備えをするために時間を注いてくださること。皆さんが一心に尽くしてくださることに感謝しています。わたしは皆さんの忠実さによって主の愛を感じてきました。皆さんとともに仕えることによって祝福を受けてきました。わたしの心は皆さん一人一人への感謝と愛でいっぱいです。またともに働いてきた神権者の兄弟たちに深く感謝しています。

そして最も深い感謝をわたしの救い主にささげます。主は,天の御父が求められたことをすべて成し遂げ,わたしたちすべての罪を贖ってくださった従順な御子です。主を覚え,主の慈しみに感謝するとき,主のようになりたいと思います。毎日の生活の中で主の愛を感じることができますように。「言いつくせない賜物のゆえに,神に感謝」10します。イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン。