2000–2009
イスラエルの羊飼い
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イスラエルの羊飼い

世界中に善良な監督がいることを主に感謝いたします。……神に仕えいる人にのみ与られる,あの安らぎを心に感じることができますように。

兄弟の皆さん,今晩わたしは,いつもとは少し違うことをしようと思います。15年前に総大会の神権部会で語った事柄について,もう一度お話ししようと思うのです。教会の監督に向けた,監督についての話です。監督はすばらしい人たちであり,文字どおりイスラエルの羊飼いです。

この大会の出席者は全員,監督または支部長に託されています。監督と支部長の担う重荷は,途方もなく大きいものです。すべての教会員の皆さんにお願いします。監督と支部長の重荷を軽減するために,できることをすべて行ってください。

監督や支部長のために祈らなければなりません。彼らの荷は重く,助けを必要としているからです。もっと彼らの力となり,極力依存しないようにしましょう。可能なかぎりあらゆる面で手助けし,わたしたちのためにしてくれることに感謝しましょう。わたしたちが課した重荷のせいで,監督や支部長は今にも崩れそうです。

現在教会には1万8,000人以上の監督がいます。すべて預言と啓示の霊によってあんしゅ召され,按手あんしゅにより任命,聖任され,ワードの長としての鍵かぎを携えています。どの監督も大祭司であり,ワードの管理大祭司として非常に大きな管理の職を担っており,会員にとって父親のような存在です。

監督は,その働きに報酬を受けてはいません。監督としての働きに対して教会から報酬を受けている人はだれもいないのです。

この監督の資格は,今日こんにちも昔と同じです。パウロはテモテにこのように書いています。

「さて,監督は,非難のない人で,ひとりの妻の夫であり,自らを制し,慎み深く,礼儀正しく,旅人をもてなし,よく教えることができ,

酒を好まず,乱暴でなく〔つまり,暴力を振るう人でなく〕,… … 人と争わず,金に淡泊で,

自分の家をよく治め,謹厳きんげんであって,子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。

自分の家を治めることも心得ていない人が,どうして神の教会を預かることができようか。

彼はまた,信者になって間もないものであってはならない。そうであると,高慢になって,悪魔と同じ審判を受けるかも知れない。」(1テモテ3:2-6)

さらにパウロは,テトスへの手紙の中で次のように言っています。「監督たる者は,

神に仕える者として,責められる点がなく,… …

教おしえにかなった信頼すべき言葉を守る人でなければならない。それは,彼が健全な教によって人をさとし,また,反対者の誤りを指摘することができるためである。」(テトス1:7,9)

これらの言葉は,今日こんにちにおいても末日聖徒イエス・キリスト教会の監督の姿を的確に表しています。

さて,ここにお集まりの,大勢の監督の皆さんにお話ししたいと思います。まず最初に申し上げたいのは,わたしは誠実で善良な皆さんを愛しているということです。監督は誠実でなければなりません。管理する人たちに模範を示し,自分自身は一段高い原則や規範を守り,会員を引き上げるようにしなければなりません。また,完全に正直でなければなりません。なぜなら,監督は主の基金,すなわち什分の一や断食献金など,会員が限られたら財源から納める献金を取り扱うからです。主の財産を管理するように任されるとは,皆さんへの信頼は何と篤あついことでしょう。

監督は民の旗印はたじるしとなるような善良さを身に付けていなくてはなりません。道徳的にも非の打ち所のない人でなければなりません。悪魔は皆さんを欺こうとするかもしれません。なぜならば,もし監督を滅ぼすことができれば,ワード全体を傷つけることができると知っているからです。また,監督は知恵をもってあらゆる人に接しなければなりません。皆さんの行いの一端を見て,道徳的な罪を犯しているかのように思われることもあるからです。ポルノ雑誌を読んだり,個室でひそかにいかがわしいビデオを見たりするような誘惑に陥ってはなりません。監督は,人の道徳的問題を裁く立場に置かれたときでも,妥協したり当惑したりすることなく裁きを下せるような,しっかりとした倫理観の持ち主でなければなりません。

監督としての職を,個人的な商売に利用することがあってはなりません。後に経済的な問題が生じたときに,皆さん自身が商売の話を勧めた人から非難されることのないようにするためです。

監督にはイスラエルの一般判士としての資格があり,この資格を汚してはなりません。判士として立つことは恐ろしいほど重大な責任です。場合によっては,人の教会員としてふさわしさや,主の宮に入るふさわしさ,またバプテスマや神権を受けるふさわしさ,伝道に出たり,教会の組織の役員として教えたり奉仕したりするふさわしさを判断しなければならないことがあります。そしてだれかが困難な状況にあるときには,会員の断食献金や,主の倉から援助を受ける資格がその人にあるかどうかを判断しなければなりません。自分か管理する人の中に,一人でもひもじい思いをしたり,衣服や住居のない人があったりしてはなりません。会員がためらって,自ら申し出ようとしない場合も同じです。監督は羊飼いとして,すべての羊が置かれた状況について多少なりとも知っていなければなりません。

監督は,悲しみ悩む人の話を聞き,慰めるとともに,心の支え,力とならなければなりません。主から力と知恵を受けて,強く,賢くならなくてはなりません。また,常に心の扉を開いて嘆きの声に耳を傾け,時には代わりに重荷を背負うほど強くなければなりません。そして,人が何を必要としているかを鋭く感じ取れる繊細な心と,道を誤った人や教会を批判するような人をも包み込む,神のような広く強い愛の持ち主でなけれはなりません。さらに喜んで話を聞いて理解しようとするだけの忍耐力を備えていなくてはなりません。人によっては皆さんだけが頼りなのですから。頼るべき人が一人もいないときの支えとならなければならないのです。ある監督か受け取った手紙の一部を読ませていただきます。

「親愛なる監督へ

絶望的な気持ちで監督に助けを求めてから2年ほどになります。あのとき,わたしは自殺しようと思っていました。だれも頼れる人はなく,お金も,仙事もなく,友達もいませんでした。家を取り上けられ,住む所もありませんでした。教会が最後の頼みの綱でした。

御存じのように,わたしは17歳のときに教会を去り,幸福と満足感を求めてありとあらゆる決まりごとや戒めを破りました。その結果得たものは幸福ではなく,悲しみと苦しみ,そして絶望でした。もはや希望も将来もありませんでした。死なせてください,死んで苦しみから逃れさせてくたさいと,神に懇願さえしました。でも神までもがわたしを必要としておられませんでした。神からも拒絶されたと感じました。

監督に頼り,教会に救いを求めたのはそんなときでした。… …

監督は思いやりのある態度で話を聞き,忠告を与え,指導し,助けてくれました。わたしはだんだんと福音を理解し始め,知識を得るようになりました。そして,分かったのです。人生の根本的なところで,変えなければならないことが幾つかあるのだと。それはとても難しいことでした。でも,自分にはそうする価値があり,きっとできると思いました。

福音を実践し,悔い改めるにつれ,恐れがなくなりました。心は安らぎで満たされ,苦しみや悲しみの影は消えていきました。贖罪しょくざいによってわたしの弱さと罪は赦ゆるされました。イエス・キリストとその愛のおかげです。

主はわたしを祝福し,強めてくださいました。そして道を開き,導きを与え,危害から守ってくださいました。一つ一つの障害を克服する度に,仕事の面でも祝福され,家族に楽な暮らしをさせられるようになりました。意義深いことを成し遂げたと感じています。

過去2年間,監督は理解を示し,支えてくれました。監督の愛と忍耐がなかったならば決してここまで来ることはできなかったと思います。主の僕しもべとして,迷える子供であったわたしを助けてくれた監督に心から感謝しています。」

監督は管理するワードにとって台の上の見張り人です。ワードには大勢の教師がいますが,監督は教師を教える者でなければなりません。教会員の問に,誤った教えが知らないうちに入り込むことのないよう見届けなければなりません。また会員が信仰と証あかしを強め,より誠実で義にかなった生活を送り,奉仕の精神をますます発揮するよう見守らなければなりません。そして主に対する愛が強まり,それがさらに大きな愛となって互いに示されるようにしていかなければなりません。

監督は人の告白を聞き,立ち入った内容を知る立場に置かれます。そのようにして打ち明けられた話をロ外することは絶対にしてはなりません。監督の特権として聞いた事柄は,何者の介入も許さないように守り,尊重しなくてはなりません。口外したい誘惑に駆られることもあるでしょう。それに屈してはなりません。

虐待の問題で,法的にはっきり求められないかぎり,信頼されて聞いた事柄は,自分の胸の内だけにとどめなければなりません。教会では,ホットラインを設けて,監督が虐待問題に直面したときに,問い合わせられるようにしています。

監督には,ワードのアロン神権を管理する特別な役目があります。望むと望まざるとにかかわらず,監督はアロン神権の指導者,教師,そして模範なのです。また監督は管理大祭司であって,ワードという家族の父親であり,論争が起こったときには仲裁役を務め,責めを受ける者がいたらその弁護をしなければなりません。

監督は集会を管理します。集会では教義が説かれ,その場の霊性を保つのは監督の責任です。また,聖餐せいさんを執行し,主の御名みなを受けたすべての人が,果たすべき神聖な聖約と義務について思い起こすことができるようにする責任があります。

監督は,伴侶はんりょを亡くした人や孤児,弱者,虐待されたり,非難されたりしている人,困っている人の強い味方でなければなりません。

力強く高らかにラッパの音を響かせてください。ワードという主の軍勢の頭かしらとして立ち,罪や無関心,背教を克服し,勝利に導くのです。

確かに,この仕事は大変なこともあるでしょう。限られた時間になすべきことは山ほどあり,会員からの電話はやむことがありません。すべきことはほかにもあります。確かにそのとおりです。仕事場にあっては,雇用主に提供すべき時間と労力を,ほかのことに不当に使うようなことをしてはなりません。家庭にあっては,家族の時間を奪うことがあってもなりません。けれども,皆さんの多くがこれまでに経験してきたように,主の導きを求めるならば,自分自身では思いもかけないような知恵と力,そして能力に恵まれるようになります。雇用主,家族,会員のすべての人をないがしろにすることなく,時間を上手に使えるようになるのです。

神が末日聖徒イエス・キリスト教会の立派な監督を祝福してくださいますように。責任の重さに不平を漏らしたくなることがあるかもしれません。しかし,皆さんは奉仕の喜びを知っています。責任は重くても,これほど楽しく,やりがいがあり,大切な責任は,自分の家庭を除けばほかにないことを知っています。

皆さんのことを主に感謝いたします。世界中に善良な監督がいることを主に感謝いたします。1万8,000人の監督の皆さんのために祈ります。どうか強くあってください。忠実であってください。自分自身の生活の中でも,また人のために目標を立てる際にも,妥協することのないようにしてください。長い一日の仕事に疲れ果てても,心地よい眠りに就き,神に仕える人にのみ与えられる,あの安らぎを心に感じることができますように。

この教会の監督の皆さんが,強く善良な人々であることを証あかしします。また監督を助けて働く副監督たち,そして監督から召しを受けてその指示の下に働くすべての人々をたたえたいと思います。

無理なことを期待してはいませんが,皆さんが最善を尽くすよう願っています。認められているかぎり,業務を人に委任してください。そして,物事を主の御手みてにゆだねてください。

監督もいつかは解任されます。それは悲しいときです。しかし,仕えた人たちから感謝され,慰めを感じるでしょう。皆さんのことを忘れる人はいません。その後も長い間にわたって感謝の言葉をかけてくれるでしょう。教会の役員の中で,監督ほど身近な人はほかにいないからです。監督は,羊の群れを見守る羊飼いとして召され,聖任され,任命されています。そして識別と裁きの力,人に祝福を注ぐ愛を授かっています。その務めを果たすときに,自分自身の生活にも祝福を注ぐことになるのです。

監督の召しは神聖なものであって,すばらしい方法でその務めを果たすことができると証あかしします。主の子供たちのために働くときに,監督と副監督,また伴侶はんりょと子供たちのうえに祝福が注がれますように。イエス・キリストの聖なる御名みなによりへりくだりお祈りします。アーメン。