2000–2009
信仰によって歩む
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信仰によって歩む

(わたしたちは)未知の世界を目指します。でも、信仰が行く手を照らしてくれます。信仰を養い育てれば、暗闇を進むことはありません。

わたしたちが皆さんに語りかけるこの場所は、美しい4月の安息の朝を迎えています。チューリップは青々と育ち、間もなく美しい花を咲かせることでしょう。疑いの冬は過ぎ去り、希望の春を迎えています。わたしたちは春の訪れを知っていました。それは、これまでの経験に基づく信仰によるものです。

霊や心についても同じことが言えます。人生を歩む男女には疑いや失意、幻滅といった暗い時期が訪れることがあります。そのような中で信仰の光をもって先を見通す人は少なく、多くは暗闇くらやみの中でつまずき、道に迷う人もいます。

わたしの今朝の皆さんへの願いは、信仰を持つこと、パウロが「望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」(ヘブル11:1)と説いた信仰を皆さんに持っていただくことです。

改宗の過程で求道者が教会について教わるのはわずかなことです。読むのもわずかです。教会のすばらしさのすべてを知ることはありません。それは不可能です。しかし、熱心に研究し、進んでひざみたままずいて祈れば、御霊みたまがその人の心にかすかに触れます。そして正しい道が示され、その人はそれまでに経験しなかったものを目にします。意識しているか否かにかかわらず信仰によって着実な歩みを始めるのです。するζ、新たな理解の光が注がれます。

昔わたしは西部山岳地帯を走る鉄道の会社で働いていました。列車にはよく乗りました。蒸気機関車の時代です。その線路上の怪物は巨大で、速く、危険でした。わたしは、機関士は夜中によく長い距離を走らせるものだと不思議に思ったものです。しかし後で、列車は長い距離を一度に進むわけではなく、短い距離を積み重ねていくことに気づきました。機関車には強力なヘッドライトが装備されていて、400ヤード(約300メートル)から500ヤード(約400メートル)先を照らすことができます。機関士が見ているのはその範囲だけです。それでいいのです。ヘッドライトは夜が明けるまで列車の前方を照らし続けてくれるわけですから。

このプロセスについて主はこう言われました。「人を教化しないものは、神から出てはおらず、暗闇である。

神から出ているものは光である。光を受け、神のうちにいつもいる者は、さらに光を受ける。そして、その光はますます輝きを増してついには真昼となる。」(教義と聖約50:23-24)

わたしたちの永遠の旅路も同じです。一歩ずつ進みます。そのようにして未知の世界を目指します。でも、信仰が行く手を照らしてくれます。信仰を養い育てれば、暗闇を進むことはありません。

一人の知人をご紹介しましょう。恥ずかしがると思いますので名前は控えます。彼の奥さんは生活に何かが欠けていると感じました。ある日、彼女は教会員の親戚しんせきにそのことを打ち明けました。親戚の人は宣教師を呼ぶように勧めます。そうしました。でもご主人は失礼な態度で、二度と来るなと言って宣教師を追い返してしまいました。

月日が過ぎました。訪問の記録を見つけた別の宣教師が同僚とともに再度訪問することを決意します。カリフォルニア出身の背の高い宣教師で、笑顔の絶えない人でした。

ドアをたたくとご主人が出て来ました。「少しおじゃましてもよろしいですか。」ご主人は同意しました。

宣教師はこう尋ねました。「祈りの方法を御存じですか。」ご主人は「主の祈り」なら知っていると答えました。宣教師は答えました。「いいですね。でも、個人でする祈りの方法をお教えしましょう。」宣教師はへりくだって天の神の御前にひざまずくことを教えました。ご主人はそうしました。宣教師は続けます。「わたしたちは神に『天のお父様』と呼びかけます。それから、受けている恵みについて神に感謝しま曳健康であることや友人、食物などで曳それから祝福を願い求めますb心の奥の望みや願いを伝えるのです。助けを必要としている人々を祝福してくださるようお願いします。すべてを愛する御子イエス・キリストの御名みなにより申し上げ、アーメンで終わります。」

彼にとってそれは心地よい経験でした。かすかな光と理解、そして信仰の芽生えを感じたのです。次の段階への備えができました。

少しずつ、宣教師は忍耐強く教えていきました。彼はそれにこたえ、信仰に少しずつ理解の光がともり始めました。支部の友人たちが彼を励まし、質問に答えました。一緒にテニスをしたり、家族を食事に招待してくれたりしました。

そして彼はバプテスマを受けました。信仰の大きなステップです。支部長は彼を、4人の少年を指導するスカウト隊長に召しま曳その後、ほかの幾つかの責任に召された彼は、その新しい機会と経験を得る度に信仰の光を強めていきました。

それはずっと続き、今日こんにち彼は有能で愛されるステーク会長、大いなる知恵と理解力を持つ指導者、そして何よりも偉大な信仰の人として活躍しています。

教会員のだれもが直面するチャレンジは、次の段階に進むこと、つまり自分にはできないと感じるときでも召された責任を受けること、しかも、主が行く手を照らしてくださるとの期待を胸に信仰をもって召しを受けることです。

什分じゅうぶんの一と信仰についてのお話をご紹介しましょう。ブラジルのサンパウロに住むある女性の体験です。彼女は家計を助けようとと、働きながら学校に通っていました。彼女の言葉をそのままお伝えします。こう書いてあります。

「わたしが学んでいた大学には、授業料滞納者は試験を受けられないという規則がありました。それで、給料をもらったら什分の一と献金を取り分け、残りを授業料やその他の費用に充てていました。

あるとき、……経済的にとても大変な状況に陥りました。給料を受け取ったのは木曜日です。その月に支払う費用を計算したわたしは、什分の一と授業料の両方を納めるのが不可能であると気づきました。どちらかを選ばなければなりません。隔月の試験が翌週から始まることになっており、それを受けないと留年してしまいます。とても悩みました。……心が痛みました。難しい決断です。どうしたらいいのか分かりません。二つの選択肢の間で揺れ動きました。什分の一を納めようか。でもそうすると、大学に残るために必要な単位が取れなくなってしまうかもしれない。

この悶々もんもんとした思いは土曜日まで続きました。でもそのとき、思い出したんです。バプテスマを受けたとき、什分の一の律法に従うことにも同意したのだった、と。わたしは宣教師にではなく天の御父に対してその義務を引き受けたのです。そう思った瞬間、苦しみは消え去り、心地よい安らぎと決意に変わりました。… …

その夜、わたしは祈りの中で自分の優柔不断さについて主に赦ゆるしを請いました。日曜日、わたしは聖餐せいさん会が始まる前に監督と会い、大いなる喜びをもって什分の一と献金を納めました。特別な日でした。自分と天の御父に対して幸福と平安を感じることができました。

翌日、わたしは職場で水曜日に始まる試験を受ける方法はないものかと考えていました。考えれば考えるほど、解決の道が遠のいていくように感じられます。わたしが働いていたのは法律事務所ですが、所長はそれまでに会った中で最も厳しく融通の利かない人でした。

勤務時間が終わりに近づいたころ、所長はわたしに最後の仕事を言いつけました。そしてかばんを手にしてあいさつをすると、その場を去ろうとしました。……ところが、急に足を止めるとわたしの顔を見て、こう聞くのです。『大学はどう?』驚きました。耳を疑いました。わたしは震える声で『何とかやっています』と答えるのが精いっぱいでした。彼は考え込んだ様子でわたしをじっと見ると、またあいさつをして出て行きました。… …

突然、秘書の女性が入って来て、あなたは幸運な人だと言います。理由を尋ねると、彼女はこう答えました。『所長が、今日きょうから先あなたの大学の授業料と教材費は全部事務所で払ってあげなさいって。帰る前にわたしの席に立ち寄って費用を教えてください。明日小切手を切りますから。』

秘書が部屋から出て行った後で、わたしは泣きながら、心からへりくだってその場にひざまずき、主の寛大さに感謝しました。わたしは……天の御父に過分な祝福ですと申し上げました。必要だったのは1か月分の支払いだけで、日曜日に納めた什分の一は受けた祝福と比べればごく少額なのです。祈りの中で、マラキ書に書かれた言葉が思い出されました。『これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。』(マラキ3:10)わたしはそのときまで、その聖句にある約束の大きさが実感できませんでしたが、確かにこの戒めは地上の子どもたちへの天の御父の愛のしるしなのです。」

信仰はこの業を強める基本要素です。世界中でこの教会が設立されている所ならどこでも、このことは明らかです。一つの国や国民、言語や民族に限ったことではありません。どこでもそうです。わたしたちは信仰の民です。わたしたちは信仰をもって歩みます。永遠の旅路を一歩一歩前進するのです。

世界中の忠実な人々への主の約束は偉大なものです。主は言われました。

「主なるわたしは、わたしを畏おそれる者に憐あわれみ深くかつ恵み深く、また最後まで義をもって真理にかなってわたしに仕える者に誉れを与えるのを喜びとする。

彼らの受ける報いは大きく、彼らの栄光は永遠である。

わたしは彼らにすべての奥義を、すなわち昔から隠されていたわたしの王国のすべての奥義を明らかにし、また来るべき時代……のことについて… …

まことに、永遠の驚異さえも、彼らは知るであろう。… …

彼らの知恵は大いなるものとなり、彼らの理解は天に達する。彼らの前で知者の知恵は滅び、賢者の理解も無に帰する。

わたしは、わたしの御霊によって彼らに光を注ぎ、またわたしの力によってわたしのひそかな思い、すなわち、目が見ず、耳が聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったそれらの事柄を彼らに知らせるからである。」(教義と聖約76:5-10)

これ以上を求めることができるでしょうか。わたしたちが携わっているこの業は何と栄えある業でしょうか。主の御前みまえに信仰をもって歩むわたしたちにとって、全能者の方法は何と驚くべきものでしょうか。

求道者の信仰とは、赤々と燃える炎の中に投げ入れる若木のようなものです。炎に暖められ、木は乾燥し燃え始めます。しかし、炎の中から抜き取ると、木は自らの状態を維持することはできません。揺らめく炎は消えてしまいます。でも、炎の中に置いておけば、次第に明るく燃え始めます。やがてそれは、燃え立つ炎の一部となり、ほかの若木を燃え立たせるのです。

兄弟姉妹、これまで述べたように、この偉大な信仰の業は広い地球の各地に住む人々を奮い立たせます。そして、主の道をさらに深く理解させ、主の方法に従うことによってさらに大きな幸福に至らせるのです。.

神の子どもとしてわたしたちが信仰によって歩むとき、永遠の父なる神がこれからもこの神の王国の業を認めてくださり、業が発展しますように。主イエス・キリストの御名によりへりくだり祈ります。アーメン。