2000–2009
安息日を神聖に保つことによってもたらされる祝福
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安息日を神聖に保つことによってもたらされる祝福

「末日聖徒は毎週率究、して、この約東された日をめなければなりません。」

日曜日午後の部会に集まりのすばらしい、忠実な聖徒の皆さん、皆さんが安息目を尊ぶ気持ちを示し、世界中のどこにいようとも、この部会に参加してくださることを、非常にうれしく思います。

末日聖徒イエス・キリスト教会の、このすばらしい総大会の5つの部会を通じ、わたしたちは導かれ、啓発され、霊的に養われてきました。

わたしたちは「どのように……〔主の〕律法と戒めの要点を実行するか」学んできました。1 そして「〔自分たちが〕受け入れたものによって聖められ」てきました。2 今こそ、「〔主の〕前に聖さを尽くして行動する義務を自ら負」う時です。3 すなわち、この大会を基として、わたしたちはある特別な行動を取る決意をしなければなりません。自分の生活に必要な変化をもたらす行動です。この行動は信仰と呼ばれ、この変化は悔い改めと呼ばれます。祝福は常にこの二つの原則に付随します。迅速に行動を起こさなければ、本来わたしたちを聖めるはずであったものが、罪の宣告へと変わります。

今日きょうは安息日です。この集会から帰るときも、安息日はまだ続きます。遊びに出かける誘い、あるいはドライブや野球、ショッピングへの誘いの電話や訪問があったとしても、安息日は終わりません。休暇中だから、あるいは教会内外の人が訪ねて来たからという理由でも、安息日に変わりはありません。

主は命じられました。「あなたがたは悪人の中から出なさい。あなたがた自身を救いなさい。主の器を担う者たちよ、清くありなさい。」4 この戒めに従ううえで不可欠な要素は、「安息日を覚えて、これを聖とせよ」というものです。5

安息日は一日中続くものです。啓示では、「特にシオンの聖徒たちに」向けて、6「世の汚れに染まらず」7 に自らを清く保つために安息日が与えられたと、主は言われました。安息日は、聖餐せいさんを受け、「いと高き方に礼拝をささげる」ための日です。8「断食と祈り」の日9です。また、神と隣人のために時間と才能と奉仕の業をささげる日です。10 「兄弟たちと主の前に〔自らの〕罪を告白」するための日です。什分じゅうぶんの一と断食献金をささげるための日です。11 世俗的な楽しみや娯楽を進んで犠牲にする日、安息日の聖約を守る日、12 「喜びと祈り」の日13、そして「楽しげな心と表情をもって」過ごす日です。14

イザヤはこのように約束しました、「もし……あなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、……これを尊んで、……おのが楽しみを求め……ないならば、その時あなたは主によって喜びを得〔る。〕」15

確かにわたしたちは、主の御心みこころを行うことに関心を向け、仕事を続けたり、娯楽や怠惰にふけったりするという世俗的な欲望をむさぼることのないよう心がけています。

スペンサー・W・キンボール大管長はこのように勧告しました。「安息日は聖なるふさわしい事柄を行う聖日である、労働とレクリエーションを慎むことは大切なことではあるが、それだけでは十分とは言えない。安息日は建設的な考え方と行動を要求される日であるしたがって、もし何もせずにぶらぶらしているとしたら、それは安息目を破っていることになるのである。安息日を守るためには、ひざまずいて祈り、レッスンの準備をし、福音を学び、瞑想めいそうし、病人や苦しんでいる人を訪問し、眠り、健全な書物を読み、出席することが期待されているその日のすべての集会に出席するはずである。このような正しい事柄をしないことは、不作為の罪である。」16

わたしたちの愛するゴードン・B・ヒンクレー大管長はこう約束しました。「安息日を守るという戒めが神から与えられたものであること、すなわちこの賢明な教えに疑いを持つのであれば、家にとどまり、あなたの周りに家族を集め、彼らに福音を教え、ともに安息日を楽しんでください。そして集会に出席し、参加してください。そうすれば安息日の原則が、偉大な祝福をもたらす真実の原則であることを理解するようになるでしょう。」17

イエスは「安息日は人のためにある」と教えられました。18これは何を意味するのでしょうか。それは、人が、福音の約束する喜びと幸福を得ることを意味しています。この日に、人は世俗的なことを犠牲にし、仕事を休み、できるかぎり安息日の永遠の聖約を守らなければなりません。主はこう勧告されました。「ゆえに〔すべての末日聖徒を含む〕イスラエルの人々は安息日を覚え、永遠の契約として、代々安息日を守らなけれはならない。これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしてある。」19

地上に住むすべての人々の中でも、末日聖徒は毎週率先して、この約束された日を聖めなければなりません。「あなたかたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなけれは、決して大国に、はいることはできない」と主は言われました。20

まさに今日こんにちに至るまで、「安息日の遵守は、義人を世俗的で邪悪な者からえり分けるための大いなる試しの一つである」とブルース・R・マノコンキー長老は述へました。21

安息日を神聖に保つ人々に授けられる主の約束は、聖文の中に非常に明確に示されているため、「世の中の卑俗で一時的な喜びを得るために、このような祝福を放棄する人がいるのはなぜだろうか」という疑問が残ります。シナイ山から下った主の御言葉みことばに再び耳を傾けてみましょう。「あなたがたはわたしの安息日を守り、またわたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である。

もしあなたがたかわたしの定めに歩み、わたしの戒めを守って、これを行うならば、

わたしはその季節季節に、雨をあなたかたに与えるであろう。地は産物を出し、… …

……あなたかたは飽きるほどパンを食べ、またあなたかたの地に安らかに住むであろう。

わたしが国に平和を与えるから、……つるきかあなたがたの国を行き巡ることはないであろう。… …

わたしはあなたかたを顧み、多くの子を獲させ、……あなたかたと結んた契約を固めるであろう。… …

わたしは幕屋〔神殿〕をあなたかたのうちに建て、… …

わたしはあなたがたのうちに歩み、あなたかたの神となり、あなたかたはわたしの民となるであろう。」22

わたしは安息日を心から大切に思っています。わたしの家族は、様々な方法で安息日の祝福を受けてきました。主の戒めが「真実であり、確か」であることを、個人的な経験に基づいて証あかしします。23

この永遠の聖約を守るために犠牲を払う個人や家族にもたらされる奇跡を目まの当たりにすることで、皆さんはより幸福になり、より大きな平安を味わい、人生を宮びに満ちたものにすることができるでしょう。

わたしは救い主である主を愛しています。主か生きておられ、この教会が地上における主の教会であり王国であると知っています。

また同時に、主か公正で憐あわれみ深い神であられること、また、親切で盾け深い父親の愛情を尽くして神の子どもたちを愛しておられることを知っています。今度はわたしたちが「義をもって主なる〔わたしたちの〕神に犠牲を、すなわち打ち砕かれた心と悔いる霊の犠牲を」ささげようではありませんか。24イエスキリストの御名みなによってお祈りします。アーメン。