2000–2009
サタンのスナイプ袋
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サタンのスナイプ袋

「すべての偽りと欺きの創始者サタン」の言葉に耳を傾けるのでしょうか。「それとも、すべての真理と幸福の源であり、愛にあふれる天の御父を信頼するのてしょうか。」

大学の1年目を終えたばかりのころ、伝道資金を稼ぐために、夏の問、ワイオミング州ジャクソンホールにできたばかりのジャクソンレイクロッジで働きました。そこは人に荒らされていない美しい地域で、大勢の大学生が働きにやって来ました。

その中に、ジルがいました。ジルはカリフォルニア州サンフランシスコ出身でした。わたしも友人数人も、大都会からやって来たお嬢さんというものは、ひょっとするとここの環境をいささか甘く考えてしまうのではないかと感じ、ほんとうの西部がどんなものか教えてあげなくてはと思いました。わたしたちは彼女を「スナイプ狩り」に連れて行くことにしました。スナイプ狩りになじみのない方々のために解説します。スナイプ狩りはいたずらです。スナイプなんてものは初めからいないのですから。少なくとも合衆国西部にはいません。スナイプ狩りに必要な道具は棒と布袋です。「ハンター」はやぶの中に分け入り、棒でやぶをたたきながら、甲高い、ばかげた声でスナイプを呼びます。かくて、架空の動物スナイプは布袋の中に追い込まれることになるというのです。

わたしたちはジルに布袋と棒を渡し、狩りをする場所を割り当てました。計画ではおよそ15分で出発地点に戻って来て、そこでスナイプを数えることになっていました、、ところが、彼女は予定の時間に戻って来ませんでした。わたしたちは彼女が本気で狩りをしていると思って満足し、喜びました。30分くらいたちました。そろそろ彼女を捜し出して冗談だったことを説明し、大いに笑って夕食に出かけようと思いました。ところが行ってみると、彼女がスナイプ狩りを意外にまじめに受け止めていたということが分かりました。彼女は割り当てた場所にはいませんでした。かなり広い範囲を捜しました。それでも彼女の気配はありませんでした。森に入り、声を限りに呼んでみても、答えはありませんでした。

寮に戻っていることを望みつつ、引き返しました。数人の女の子に彼女の部屋のある建物の中を捜してもらいましたが、今度も見つかりません。暗くなり始め、さらに心配になりました。男子寮から男の子を集められるだけ集め、懐中電灯を持って森の奥深くまで入って捜し続けました。すっかり暗くなり、恐れと不安が募り、声もかれてきました。こうなったら自分たちのしでかした愚かな行為を公園監視人に報告するしかないと腹をくくりました。寮の前で、だれが彼女の失踪しっそうを報告するなどという大役を勇猛果敢に果たすか決めようとしていたとき、突如、ジルが姿を現しました。自分の寮からではなく、友達の寮からです。彼女は友人とともに(わたしたちが食べられなかった)夕食を済ませ、楽しい夕べを過ごしていたのです。わたしたちの方に来るなり言いました。「『スナイプハンター狩り』はどうでしたか。」それはすべてを物語っていました。やれやれ。大都会のお嬢さんも、ほんとうの西部も、もうたくさんです。してやられたのはわたしたちの方でした。以来、二度とスナイプ狩りをしたいと思ったことはありません。

ところが、わたしたちの周囲でもう一つの「スナイプ狩り」が行われているのです。わたしたちはまんまとひっかかり、犠牲者になりかねないのです。これはいたずらではありません、大いに笑ったり、ちょっとした温かい親睦しんぼくをもって終わったりするものではありません。サタンは大いなる詐欺師、偽り者、またすべての善に対する敵なのです。わたしたちの幸福と安らぎに対する敵です。彼の大きな望みは天の御父の幸福の計画を妨害し、わたしたちを「自分のように惨めに」することです(2ニーファイ2:27)。欺きのまことの創始者であり実行者であるサタンは現実に、わたしたちをスナイプ狩りに誘い、わたしたちの袋が興奮と娯楽、流行、「快適な生活」で満たされるように仕向けます。しかし、彼の約束は架空の動物スナイプと同じで幻想なのです。彼がわたしたちにほんとうにつかませようとしているものは、偽り、悲惨、霊的退廃、自尊心の喪失なのです。

わたしたちに出て行って袋を満たさせようとするときにサタンが使う売り口上は、「明日は死ぬ身なのだから、飲み食いし、楽しみなさい」です(2ニーファイ28:7)。彼の誘いは魅力的で説得力があるかもしれません。ニーファイは、彼のセールステクニックは「すべてが良い」と言って「なだめ」「へつらい」「欺く」方法であると語っています(2ニーファイ28:21-22)。サタンが特に袋に詰めさせようとしているものは、あらゆる形の不道徳であり、その中にはポルノグラフィー、卑わいな言葉、服装、行為も含まれています。しかし、このような邪悪な行いの結果は、情緒的な苦しみを味わうこと、霊性を失うこと、自尊心を失うこと、伝道や神殿結婚の機会を失ってしまうことなのです。また、望んでいないのに妊娠することさえあります。サタンは、わたしたちの袋に薬物、アルコール飲料、たばこ、そのほか習慣性の強いものを入れさせます。

サタンはわたしたちに、これらのことを行っても問題ない、「みんながやっている」と告げることでしょう。彼は、これらを行うと人気者になり、みんなから受け入れられると告げるのです。サタンの偽りは非常に魅力的に見えることがあります。人生の最も大切な時期には特にそうです。それはちょうど若人が周囲から受け入れられ人気を得ることを切望する時なのです。

しかしながら、袋に入れてはいけないものを識別するのに役立つ手がかりがあります。皆さんはこれらの手がかりをよく御存じだと思います。在りきたりでよく知られているものです。次のようなものがそれです。

●「みんながしているよ。」

●「だれにも知られやしない。」

●「だれかを傷つけているわけじゃないんだから。」

●「1度だけなら害にならないよ。」

●「だからどうだっていうんだ。」

●「後で悔い改めればいいんだ。そうしたら、伝道に行けるし、神殿結婚だってできる。」

●「キリストは罪を贖あがなってくださったんだし、赦してくださるさ。」

あからさまなものであれ、ひそひそささやかれたものであれ、このような正当化が行われるときは、用心してください。耳を貸さないでください。試さないでください。決して行わないでください。

すべての真理の源、愛にあふれたわたしたちの御父である神は、サタンの欺きを警告しておられます。主が預言者を通して告げられた言葉に耳を傾けてください。

●パウロはコリントの聖徒にこう教えました。「あなたがたは神の宮であって、神の御霊みたまが自分のうちに宿っていることを知らないのか。もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるもの……だからである。」(1コリント3:16-17)

●ヤコブは古代のニーファイ人に警告しました。「しかし、心が清くなく、今日きょう、神の御前みまえに汚れている者は災いである。災いである。」(モルモン書ヤコブ3:3)

●アルマは不従順な息子コリアントンに性的不道徳について指摘しています。「わが子よ、あなたはこのことが主の口から見て忌まわしい行いであること……を知らないのか。」(アルマ39:5)さらに、コリアントンにこう述べています。「悪事は決して幸福を生じたことがない。」(アルマ41:10)

これらの警告は聖書の時代にのみ当てはまるのだと考えてはいけません。現代の預言者ゴードン・B・ヒンクレー大管長が語った事柄に耳を傾けてください。「いわゆる「ニューモラル(新しい道徳)』であろうと、十分に論じ合った後での道徳の標準の変更であろうと、徳に適切に代わり得るものはありません。神の標準がたとえ全世界のあらゆる場所で攻撃にさらされても、神が御自分の戒めを廃止されることはないのです。」(「純潔と貞節についての預言者たちの教え」「リアホナ』1999年10月号、26-27、強調付加)

そこで、わたしたちは自らにこう問いかけます。「幸福と安らぎを求めるとき、わたしはだれに頼るのだろう。」すべての偽りと欺きの創始者サタンに頼るのでしょうか。わたしたちを滅ぼすことが、彼の唯一の目的であるというのに。それとも、すべての真理と幸福の源であり、愛にあふれる天の御父を信頼するのでしょうか。御自分の永遠の愛と喜びをわたしたちに与えることを唯一の目的となさっている御方を。

たとえ貧しい境遇の出であっても、わずかな教育しか受けていなくとも、この世的にはそれほどの成果を収めていないとしても、また、サタンの欺きのために、自分は大切な者ではなく、取るに足りず、能力がないと感じることが時折あるとしても、決して忘れないでください。わたしたちは神の神権を持つよう選ばれた者であり、召され聖任された神の代表者なのです。ですからわたしたちは特別な者なのです。

御父の神権のおかげで、わたしたちにはカが与えられています。わたしたちは王家の者です。わたしたちはサタンのスナイプと神のまことの幸福の原則を識別する力を持っています。わたしたちは自分が何者であるかを知っており、聖なる御霊を授かっており、御父の神権を与えられています。ですから、はっきりと拒絶する力があります。「サタンよ、わたしは、おまえの偽善的で、邪悪で、霊の死をもたらす力を持つスナイプ狩りの犠牲にはならない。」「悪事は決して幸福を生じたことがない」ということ(アルマ41:10)と、悪事は今後も決して幸福を生じることがないことを証あかしします。さらに、幸福と自尊心は幸福の計画をお作りになった御方の原則に従って生きることによってのみもたらされることを証します。これらのことをイエス・キリストの御名みな によって証します。アーメン。