青少年とヤングアダルトを教える
イエス・キリストこそが,答えです


イエス・キリストこそが,答えです

中央幹部との夕べ・2019年2月8日,ソルトレーク・シティー・タバナクル

テンプルスクウェアのタバナクルに集まってくださった愛する兄弟姉妹,また世界中の皆さんとともに,本日集えることをわたしも姉妹もうれしく思っています。セミナリーとインスティテュートの教師からわたしが受けた,人生を変えるような影響を振り返ってみると,今でも,聖典の研究の仕方や,特にモルモン書を愛する気持ちの中に,教師の足跡が残っています。

また,安心できる雰囲気の中,福音の中で楽しく一緒に過ごした友人と交わる機会は大切なものでした。高校のセミナリーの教室や大学のインスティテュートでともに過ごしました。特に,メラニー・トウィッチェルをインスティテュートのダンスに連れて行くのを楽しみにしていました。現在,メラニーは美しく,すばらしいわたしの妻です。

教師の皆さんは,イエス・キリストのもとに人々を導くために多くの時間をささげています。生徒のために祈り,質問の答えを調べ,霊的に備えて御霊によって教えようと努力してくださっています。生徒を高め,関心を引き,福音の真理を明らかにしています。

悩んでいる生徒,つまり追い詰められた状況にある青少年,証と理解を拒もうとしている神の貴い子供たちの助け手を探すときに,主は皆さんが両親や教会指導者と協力して前進できるよう備えてくださいます。皆さんは生徒の前に立ち,イエス・キリストが生きておられ,天の御父が一人一人を愛しておられ,主の永遠の計画の中に彼らの居場所があるという真理を再確認させます。何より,皆さんは真理を本当に信じています。

ジェフリー・ R・ホランド長老が度々言うように,皆さんは「神からこられた教師」です。1

「何千人〔もが〕……今,贖いをもたらした愛について歌うようになっている。 これは〔皆さん〕の内にある神の御言葉の力のおかげである。だから,大いに喜んでよいのではないだろうか。

まことに〔皆さん〕は,とこしえに神をほめたたえて当然である。わたしたちの神はいと高き神であ〔る〕。」2

時には,青少年を高め,教え,励ますという重荷に耐え切れないと感じることがあるかもしれません。主は,人を主のもとに導くという業の難しさを御存じです。ニューヨーク・シティーで伝道部会長を務めていたときに,そのことを学びました。アルマ書の聖句が心に響いたのです。「そして,わたしたちが意気消沈して,まさに引き返そうとしたときに,見よ,主はわたしたちを慰め,『あなたがたの同胞……の中に行き,忍耐して苦難に耐えなさい。そうすれば,あなたがたに成功を得させよう』と言われた。」3

敵は,これまでに神の王国に及ぼした悪影響に満足してはいません。もっと悪影響を及ぼそうと容赦なく攻撃します。攻撃の的は皆さんの大切な生徒たちです。一部の青少年は,「恐怖……で気絶〔しそうになっています〕」。4

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考え事をしている若い女性

道からそれる生徒もいますが,主の御霊があれば,彼らを連れ戻すことができます。パウロの言葉を思い出してください。「わたしたちは四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。」5

なぜでしょうか。

キリストの大義は,この永遠の約束とともに招いているからです。「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」6

主は言われました。「元気を出しなさい。恐れてはならない。主なるわたしはあなたがたとともにおり,あなたがたの傍らに立つからである。あなたがたは,わたし,すなわちイエス・キリストについて,わたしが生ける神の子であること,わたしがかつており,今おり,やがて来ることを証しなければならない。」7

「元気を出し」8ているのに恐怖に陥ることはできません。元気でいることと恐れることは,相反するものです。主の戒めに従うならば,つまり元気であるならば,世の救い主を証する備えができるでしょう。わたしたちは主がどのような御方かを知り,予測もつかないようなこの世を克服し,さらに高められるように主が重要な役割を果たしてくださることに気づくでしょう。

元気を出すことは,思うようにいかないときに主を信頼することです。課題に直面したり,困難な状況に陥って生活が一変しても,悲しいことやつらい出来事に夢が打ち砕かれても,辛抱強くあることです。主はこのように述べておられます。「この世ではあなたがたの喜びは満たされないが,わたしにあってあなたがたの喜びは満たされる。」9

皆さんのクラスにも,「元気」な生徒がいるでしょう。彼らは問題が起こっても,神への信仰と信頼をもって立ち向かいます。クラスに来て,疑問の答えや真理を知ろうとし,自分が何者であるかということに確信を抱いています。彼らにとって,「神の子です」10というのは,初等協会で昔歌っていた歌の歌詞ではなく,知識であり安心の源です。このような生徒は,疑問の答えとなる霊的な経験や洞察や理解を求めてクラスに参加します。争いの多い世の中を生きていくのに必要な希望を強めたいと望み,多くのプレッシャーを受けながらもその目の光は日々の生活の疲れをしのいでいます。

わたしがセミナリーやインスティテュートに通っていた昔,クラスに来る生徒は信心深かったように思います。インターネットがなかったので,インターネットの情報によって 疑いを抱いたりはしませんでした。宗教や啓示,預言者,神を信じることに対する世の中の懸念をバックパックに詰めて持ち歩いたりはしませんでした。

後ろの方の席で本に顔をうずめている生徒はどうでしょう?最近髪を大胆に短くし,あなたの目を見ようとしない少女はどうでしょうか。二人でしゃべりしながらクラスに来ていたのに,今は互いに話そうともしない少女たちはどうでしょうか。福音の話し合いへの興味を失い,大半を欠席している,本来優秀な生徒はどうでしょうか。ぼんやりとした表情でやる気の見られない生徒たちはどうでしょうか。クラスに来て座るものの,メモを取るどころか御霊を感じる間もなくすぐに部屋から出て行ってしまう生徒はどうでしょうか。尊い彼らは,ストレスや恐れ,誘惑,危機,落胆に押しつぶされています。

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落胆している若い男性

「どうなっているんだ」と自問したことはありますか。わたしはあります。

恐れと絶望を感じているのです。友人に受け入れられない恐れ。勉強やプレッシャー,解決できない家庭の問題を恐れています。だれも信頼できず,だれにも信頼されないという恐れ。孤独を恐れ,グループにいることも恐れています。人の重荷になっているという恐れ。あらゆる宗教に対する恐れ。苦しみの解決方法が見つからないという恐れ。恐れは落胆と絶望,不安と落ち込みを助長し,結論のない不満をつのらせます。だれも理解してくれないし,「どうしたの?」と聞いてさえもらえないと思い込みます。

残念なことに,あらゆる形の恐れは,最も悲惨な方法である自殺として現れます。

昨年,ユタ州知事は10代の自殺の急増に取り組む特別委員会を立ち上げたときに,ラッセル・M・ネルソン大管長に, 教会の指導者をその任務に割り当てるよう求めました。わたしは大管長からその大変な責任を割り当てられました。だれにでも自殺をする可能性はあります。10代の自殺は,世界中に広がりつつある危機です。統計によると,現在自殺は,15歳から24歳までの死因の上位3位に入っています。「自殺未遂の数は,自殺で亡くなった数の20倍に及ぶ。」 11愛する兄弟姉妹の皆さん,これは,悲惨な統計です。

わたしたちはこの問題に向き合わなければなりません。末日聖徒イエス・キリスト教会の会員であるわたしたちは,自殺は答えである,あるいは自殺は検討に値する答えであるという考えを修正するために,できることをすべて行わなければなりません。10代の若者に自殺について話し,彼らを愛し,彼らが自殺を苦しみの解決策と見なさないようにしなければなりません。トーマス・S・モンソン大管長の生涯は,「救助に向かう」という言葉を体現したものでした。わたしたちはそれを自らの務めとする必要があります。

それこそが,救い主が行ってくださったことです。救い主は贖罪によりわたしたちを救助しに来てくださいました。また,わたしたちが主に頼りさえすれば,わたしたちを癒し,励まし,平安を下さることにより,深い愛を示してくださいます。

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手をつなぐ若い女性たち

青少年が必要とするならば,わたしたちは愛を示し,彼らに友人を見つけ,耳を傾け,思いやりの言葉や仕草により探し出すことができます。悩みやうつ,その他の精神的な病のためのカウンセリングを受けられるよう,両親やビショップと協力する必要があるかもしれません。わたしたちは彼らに影響を与えることができます。特に自殺に向かいやすいのは,性別の問題に悩む青少年やヤングシングルアダルトです。彼らは救い主の御腕に抱かれ,愛されていることを知る必要があります。主は度々わたしたちを招き,主に代わって愛を込めて温かく彼らを迎え入れるよう,わたしたちに期待しておられます。また,彼らの友人にも同じようにするよう勧める必要があります。

自殺は,まだ答えを得ていない疑問や悲しみ,苦悩,「もしこうだったら,こうしていれば」という疑問や,今どうすればよいかといった疑問から生じる苦しみと結びついています。このような命を失うことは悲劇であり,わたしたちは人として,助言し,配慮と関心を示し,青少年のそばにいて助けるために,さらに効果的で新たな方法で手を差し伸べなければなりません。希望を失い危険な状況にある人のために,「イエス・キリスト」という御名を言ってみてください。御名によって敬虔に主に呼びかけるなら,困難な状況に影響を与えられるかもしれません。

一部の地域社会では,「集団」自殺と呼ばれる状況に直面しています。一人の10代の若者がそういった重大な行為をすると,ほかの若者もそれを選択肢の一つと認識して追随する現象です。

2018年4月にBBCニュースで放送された,英国の10代の若者の話を紹介します。この話は,16歳のハチ・スペーリー・サウスの話です。彼女は,「すでに自殺未遂をしていました。教師が彼女のつらそうな表情に気づいていなければ,もう一度自殺しようとして成功していたかもしれません。」彼女の3人の友人はすでに自殺していました。彼女は,2年間,重いうつに苦しんでいました。

ハチはこう言いました。「心底悲しくて眠ることもできませんでした。」暗闇は続きました。両親は別れ,母親は健康の問題で入退院を繰り返していました。皆が母親に注意を払っていたため,だれもハチの目の暗さに気づきませんでした。「大丈夫?調子はどう?」と聞いてくれる人はいませんでした。

ある日,ひどいTシャツを着て,髪をバッサリと切った姿でクラスに行くと,教師がこう言いました。「ねえ,大丈夫?元気?」

ハチは「まあまあかな」と答えましたが,教師はそこで終わりにはしませんでした。教師は彼女に気づいたのです。「ほんとうは,最悪の気分」とハチは言いました。「とても悲しくて泣いてばかりなの。」

そう言うと,ハチは泣き続け,涙で化粧が崩れました。でも,ハチは気にしませんでした。手を差し伸べてもらえたのです。

この教師は,たくさんの子供たちにしていた単純な質問をしました。大切にされているというサインを感じたハチは,命綱をつかみました。助けを得られたのです。

ハチは後にこのように説明しています。「ささやかなことに思えますが,教室に来た子たちに『元気?』と言うことは大きな影響を与えます。たとえ返事が『はい』だけでも,生徒には届いています。」12

愛する兄弟であるジェフリー・R・ホランド長老はこのように述べています。「兄弟姉妹の皆さん,精神的,情緒的,身体的など,どのような苦しみを抱えていても,貴い命を絶つことを選んではなりません。神を信頼してください。その愛にすがって堪え忍んでください。いつか日は輝かしく明け,死すべき世の影が消えることを知っていてください。詩篇の作者が言うように,わたしたちが『破れた器のように』なったとしても,その器は天の陶工の御手にあることを忘れてはなりません。」13 

青少年のだれに危険が及ぶかは分かりません。トロンボーンを吹いている人,聖歌隊で歌っている人,サッカーチームにいる人,放課後にアルバイトをしている人。教会に来ている人,あなたのクラスの生徒の友人,あるいは長い間教会に来ていない人。ただし,共通点はあります。落胆や,テストの失敗,別れ,いじめ,勉強のストレス,思春期特有の問題などです。

教会は,10代の自殺の問題を真剣に受け止め,ウェブサイトを作成しています。情報や動画,孤独を感じる人への支援,相談先,助けを求めるハチの叫びのような前兆のリストなどが含まれています。

これらのリソースに詳しくなると,「神からこられた教師」14の召しをさらによく果たすことができるでしょう。

どうすれば,苦しんでいる人に,あなたの気持ちを主は御存じですと伝えられるでしょうか。主はその人の個人的な問題や過ちを引き受け,代わりに背負ってくださいました。そのおかげで,主はどのような理由でどこが痛むかを完全に理解してその人を助けてくださいます。

イエス・キリストへの理解を深めることは,希望を失いかけている人の助けとなります。主の愛と,主が永遠の内に深淵で高貴な場所を用意してくださっているというメッセージは希望を与えます。主は彼らを愛しておられます。彼らはそのことを理解する必要があります。聖文には,「主なるわたしはあなたがたとともにおり,あなたがたの傍らに立つ」とあります。15ともにいるという主の約束は,清廉潔白でセミナリー評議会の一員を務めるような人のためだけのものではありません。主は,最も深い暗闇にいる青少年やわたしたち一人一人の隣に立ってくださるでしょう。それこそが贖罪の力です。苦しむ人の心に届くよう,わたしたちは力をもってそのことを教えなければなりません。

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女性を癒されるイエス・キリスト

生徒が「自分を守ってくれる聖句」を見つけるのを助けてください。危機的状況に陥ったときや,その場から逃れるための力を必要とするときに思い出す聖句です。「恐れてはならない。 主なるわたしはあなたがたとともにおり,あなたがたの傍らに立つからである」16などは良い例です。

人生は困難に満ちあふれています。それを避けられる人はいません。あなたも,わたしも,皆同じです。自分だけが困っていると思い悩む青少年がいます。ほかのみんなはうまくいっているように見えるのです。聖典を研究し,戒めを守り,日々祈れば,心痛や混乱に陥ったり,人気が落ちたり事故に遭ったりすることはないと思い込むのです。そういうふうにはいかないのです。だれもが試練を経験します。

問題や課題,試練,苦痛,困難,苦悩など,呼び名は様々ですが,それらは,わたしたちを強め,自身を築くための現世の経験の一部です。イエス・キリストの贖罪を通じて,「元気を出〔す〕」ことができることは祝福です。17

福音を教えるという務めを,生徒に手を差し伸べ励ますようにという御霊の力よりも優先させないでください。生徒が霊感を受けてそれに従えるよう,彼らを備えてください。ネルソン大管長が強調したように,生徒が啓示を受けられるよう備えてください。18

備えができた青少年は,主の導きという奇跡を経験するでしょう。それは,主の愛の表れです。

このような敬虔な場で,なぜわたしは自殺やそれに伴う恐れ,孤独,絶望,不安,苦痛について話そうと思ったのでしょうか。なぜなら,皆さんこそが「ファーストレスポンダー(最初に対応する人)」の一人だからです。そうでなければ,そうなってください。自殺とそれに伴う暗闇は実在します。それらは青少年の中で増えています。若くて有望なえりすぐりの人々でさえ,人生には目的などないという,真実とはまったく逆のことを信じるよう誘われるという災いを経験しています。

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輪になって手をつなぐ青少年

命はもろいものです。突然だれに何が起こるかは分かりません。心の準備ができておらず,途方にくれるかもしれません。しかし,もしその家庭で家族の祈りと聖文研究と家庭の夕べが行われているならば,「しっかりとつかまる」ためのツールは備わっています。ただし,間違えないでください。これらのことをすべて行っていてもなお危機に陥る青少年はいます。ある若い男性は家庭の夕べの活動の中で,自分にとって大切なものを書くようにと言われ,何の問題もないように見えるこの14歳の少年は,「助けてくれる人がいると知っていること」と書きました。

わたしの友人に,高校3年生になるまでセミナリーに行かなかった人がいます。13歳のときから教会にも来ていませんでした。歌が上手な彼は,セミナリーの聖歌隊の選抜テストを受けて合格しました。(誰もがセミナリーの聖歌隊の一員になれます!)彼はレッスンの内容を一つも覚えていませんが,歌う度に御霊が部屋に満ち,それが,道の向かい側の学校の合唱団とは異なる点だと分かりました。それまでに感じたことのない気持ちがしました。御霊を感じたのです。福音を教えることのない,破綻した家庭で育った彼は,御霊になじみがありませんでした。やがて彼は御霊を大切にし,頼るようになりました。「助けてくれる人がいた」ため,イエス・キリストの福音に確固としていました。何年もたった今でも,彼は「神からこられた教師」19であったセミナリー教師と頻繁に話をしています。

支援体制,つまり家庭で受けるはずの力を受けられない生徒の福利にとって,皆さんの教えはきわめて重要です。そのような生徒は,福音の話し合いをさらに掘り下げるために個人的に質問してくることがあります。霊的な結びつきを持てる時間は,一日のうちでそのときしかないからです。そのような機会を大切にし,時間を作ってください。

「御自分の民を彼らの弱さに応じてどのように救うかを肉において」21知ることができるように,「万物の下に身を落と〔された〕」20救い主を通して癒しが与えられます。

イエスが,青年の昼食となるはずの少ない魚とパンで5,000人の腹を満たし,一人で祈るために山に登られたときのことを考えてみてください。弟子たちがガリラヤ湖に船を出して夜が深まると,イエスは水上を歩いて弟子たちのもとへ行かれました。主を見た弟子たちは,「恐怖のあまり叫び声をあげ」22,主は「しっかりするのだ,わたしである。恐れることはない」23とおっしゃいました。〔訳注:「しっかりするのだ」という言葉には,「元気を出しなさい」という意味と同じ英語が使われている。〕

その晩,ペテロは主の招きに応じて,勇敢に船の舷を飛び越えて水の上を歩き始めましたが,下を見たときに,渦巻き,荒れ狂う海が目に入り,恐怖のあまり叫びました。

イエスは冷笑するのではなく,思いやりをもって手を差し伸べられました。モロナイはわたしたちのよろめきについてこのように書いています。「キリストに支えられて,キリストの苦しみと死と,……キリストの憐れみと寛容と,キリストの栄光と永遠の命とを願う望みが,とこしえに〔わたしたち〕の心の中にとどまるように。」24

モロナイがわたしたちに向けて語ったのは,だれもが水上にいるからです。

新約聖書の別の場面では,人々が,「床の上に寝かせたまま」の「中風の者」を囲んでいました。25主イエス・キリストは病気で伏せった男性を見て,周りの人々の信仰を感じ取り,「しっかりしなさい」と言われました。26

この最後の神権時代に,イエス・キリストはジョセフ・スミスを通じて,伝道に出かけて危険と災難に遭っていた僕たちに語られました。「幼い子供たちよ,元気を出しなさい。わたしはあなたがたの中に〔いる〕。」27

ジョセフ・スミスは示現の中で,英国で伝道する使徒たちを見ました。彼らは,「疲れ切った様子で輪になって立っていた。衣服はくたびれ,足はむくみ,うつむき,イエスがその中におられるのに見ようともしなかった。救い主は彼らを見て涙を流された。」28

この中に,あるパターンがあります。人に能力を授けるキリストの力は,キリストが常にわたしたちのそばにおられることの表れです。何が起ころうと,わたしたちが主のもとへ行き,主の救いの力に頼るならば,主はわたしたちとともにいて,慰め,癒してくださいます。主は度々傷ついた心を癒されます。どのようにでしょうか。生活の中で行使される贖罪の力によってです。贖罪の力が発揮されるのは,最後の裁きの直前ではなく,わたしたちが日々主のようになり,主が愛されるものを愛し,預言者に従おうとするときに発揮されるのです。

贖罪について研究するときに,救い主がゲツセマネの園でひざまずかれたときの,ひどい状況について想像してみます。主は祈られました。「父よ,御心ならば,どうぞ,この杯をわたしから取りのけてください。しかし,わたしの思いではなく,みこころが成るようにしてください」29主は御自身の苦しみについて 「これらの苦しみがいかにつらいか,あなたは知らない。いかに激しいか,あなたは知らない。まことに,いかに堪え難いか,あなたは知らない」とおっしゃっています。30青少年は,この深淵な言葉を理解する必要があります。

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ゲツセマネのイエス・キリストを慰める天使

「そのとき,御使が天からあらわれてイエスを力づけた。」31

全人類の罪やわたしたちのつらさと弱さ,失望をすべて背負い,まさに助けを必要としておられた主のもとに,天使が現れて慰めたのです。皆さんが極限状態にあるときにも,主から遣わされた天使は「あなたがたの周囲にいて,あなたがたを支えるで〔しょう〕。」32教師の皆さんが天使になることもできます。

救い主は最後の晩餐で,御自身の使命について明らかにし,平和を約束されました。「あなたがたは,この世ではなやみがある。しかし,勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」33主はこれから起こることや,偉大な救いの計画において果たされる役割についても重々承知のうえで,「勇気を出しなさい」と弟子におっしゃったのです。〔訳注:「勇気を出しなさい」という言葉には「元気を出しなさい」という意味と同じ英語が使われている。〕

十二使徒定員会のマックスウェル長老はこのように述べています。「想像を絶するゲツセマネの苦しみがまさにイエスに及ぼうとしていました。ユダの裏切りは目前に迫っていました。これから捕らえられ,法廷に連れ出され,使徒は羊のように散り,主は鞭打たれ,濡れ衣を着せられ,バラバではなくイエスを十字架につけるようにと群衆が叫び,カルバリでの恐ろしい十字架の刑が待ち受けていました。『勇気を出〔す〕』ようなことが何かあったでしょうか?イエスがおっしゃったことしかありませんでした。それは,主がすでに世に勝っておられたということです。贖罪がまさに実現しようとしていました。全人類の復活が確かなものとなり,死は克服され,贖罪を止めようというサタンの企ては失敗に終わろうとしていました。」34

わたしたちは,ラッセル・M・ネルソン大管長が述べた真理を教えることができます。「贖い主の無限の贖罪がなかったとすれば,天の御父のもとに帰る望みを持てる人は一人もいなかったことでしょう。救い主の復活がなければ,死をもって終わります。救い主の贖罪のおかげで永遠の命が得られるようになり,不死不滅が万人にとって現実のものになったのです。」35

救い主の力と愛を生徒の心に届け,御父の神聖な計画に対する生徒の敬意を生む方法について考えてください。イエス・キリストの贖罪が自分のためのものであり,複雑な生活の中でどのような意味を持つのかを生徒が知れるよう,祈ってください。

神の御霊をもたらす,神の王国における奉仕を行うよう勧めてください。

教会の神殿部で奉仕した経験があるので,わたしは神殿に参入して,死者のためのバプテスマを受けるために列をなして神殿に入って行く若い男女を見るとうれしくなります。皆さんが神殿の力について強調して教えるときに,神殿参入は,イエス・キリストを知り,主こそが「元気」のもとであると知る大きな機会であることを教えられます。

神殿ワーカーとして奉仕する,エンダウメントを受けたばかりのヤングアダルトの数が増えていることをうれしく思います。白の衣服を身にまとい,静かでおだやかな雰囲気の中,彼らは聖なる地に立ちます。36神殿における主への奉仕は,確かに,主を近く感じるための並外れた方法です。

年齢と状況に応じて,限定か通常の神殿推薦状を保持するよう生徒に勧めてください。それから,神殿参入に対する気持ちや,「この世に勝る世のもの」37に手を差し伸べて,自分で儀式を受けられない人に仕えることでもたらされる啓示と霊感について話してもらいましょう。

ネルソン大管長はこのように述べています。「生活の中心を神の救いの計画とイエス・キリスト,主の福音に向けるなら,人生で何が起こっても,起こらなくても,喜びを感じることができます。」38

わたしが使徒に聖任されたときに,モンソン大管長から,世界中にイエス・キリストの御名を証する特別な証人となるのだと言われました。その責任を重く受け止めました。わたしは聖典を調べて,主の御名と称号を探しました。これから紹介するすべての言葉は聖典の中の言葉で,主に内在する希望を思い出させてくれます。例を挙げます:

  • イスラエルの望み39

  • 輝く明けの明星40

  • 良い羊飼い41

  • 助言者42

  • 平和の君43

  • 救う者44

  • 世の光45

  • すでに現れた祝福の大祭司46

  • 人を救う力を備えておられる47

  • 一切の権威を持つ者48

キリストの影響と足跡,御手が届く範囲に限りはありません。わたしたちがつまずき,前に進もうとするとき,主は隣にいてくださいます。滑ってしまったときには,主はいっそう「暗闇の中に輝いている光」49となってくださいます。これも主の別称です。主は,輝けるときも暗闇のときにもわたしたちを愛してくださいます。

イエス・キリストの弟子になる方法を推測する必要はありません。主の道には,しっかりと主の足跡が残されています。主に従うときに,主が愛するものを愛せるようになります。毎週,聖なる聖餐を取って主との聖約を新たにするときに,世の贖い主50,真理の御霊51,言葉52であられる主への理解を深めることができます。

聖餐の力を生徒に教えてください。特に,揺らいでいて,この儀式の貴さを認識していない生徒に教えてください。「いつも御子の御霊を受けられる」53という聖餐の祝福について話し,贖罪を通してイエス・キリストの癒しの力に頼れるようにしてください。

さらに,救い主は御自身について述べ,主の神聖な特質と永遠の役割を明らかにされました。

  • 「安らかにしていて,わたしが神であることを知りなさい。」54

  • 「わたしはあなたがたを聖くすることができ〔る〕。」55

  • 「わたしは……父の御心を行う。」56

  • 「主なるわたしは……わたしに仕える者に誉れを与えるのを喜びとする。」57

  • 「わたしの恵み〔は〕あなたがたに対して十分であ〔る〕。」58

  • 「わたしによって平安を得るであろう。」59

  • 「恐れてはならない。あなたがたはわたしのものである。」60

愛する友である兄弟姉妹の皆さん,この御方こそ,わたしが知っており,愛し,心から敬愛する救い主です。主について,また主の善意と憐れみについて,心から証します。主はこのように約束されました。「あなたがたはわたしの友であり,わたしとともに受け継ぎを得る〔であろう〕。」61

兄弟姉妹の皆さん,まさにイエス・キリストこそが,常に答えなのです。主の使命と福音を理解するならば,主を愛し,信じ,頼ることによりわたしたちは強められます。

ヒラマンはこのことを見事に述べています。「覚えておきなさい。あなたたちは,神の御子でありキリストである贖い主の岩の上に基を築かなければならないことを覚えておきなさい。そうすれば,悪魔が大風を,まことに旋風の中に悪魔の矢を送るときにも,まことに悪魔の雹と大嵐があなたたちを打つときにも,それが不幸と無窮の苦悩の淵にあなたたちを引きずり落とすことはない。なぜならば,あなたたちは堅固な基であるその岩の上に建てられており,人はその基の上に築くならば,倒れることなどあり得ないからである。」62

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小羊を抱いておられるイエス

皆さんが主の愛を感じ,生徒が主の愛を感じるのを皆さんが助けられるよう,祝福を残します。皆さんが望みを持ち,「元気」で,主の御霊がともにあって皆さんを鼓舞し,高めてくださるよう祝福します。皆さんが生徒に耳を傾け,生徒の言葉から,あるいは言葉以外から,必要を感じ取り,主の求められることが霊感により分かるよう祝福します。皆さんの家族と伴侶を祝福します。わたしを含め中央幹部は,キリストのもとに人を導くという皆さんの大切な業と皆さんを尊敬し,頼り,愛しています。皆さんが世の救い主について証するときに,主がそばにおられることを感じられますように。イエス・キリストこそが,常に答えです。

イエス・キリストの御名によって,アーメン。