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ニーファイは末日に人々は神の力を否定して,偽りの,むなしい,愚かな教義を教えると預言しました(2ニーファイ28:3-9。 2ニーファイ26:20-21も参照)。ジョセフ・スミスの時代に,この状態はどれほど広まっていたでしょうか(ジョセフ・スミス--歴史1:5-6,19,21参照)。この状態は今日どのくらい広まっているでしょうか。
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ニーファイは罪を正当化するために人々が用いる偽りの教えについてどのように述べているでしょうか(2ニーファイ28:7-9参照)。今日人々はどのように罪を正当化しているでしょうか。「少しの罪を犯す」ことを気に留めないことによって,わたしたちはどのような危険に自らをさらしているでしょうか(2ニーファイ28:8)。
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ニーファイはまた,末日の人々の心が高慢に満ちあふれることも先見しました(2ニーファイ28:12-15)。ニーファイ人は高慢の結果,最終的にどうなりましたか(2ニーファイ26:10-11参照)。高慢はわたしたちの霊的成長においてどのようにつまづきの石となるでしょうか。どうすれば高慢を克服できるでしょうか。
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ニーファイは,多くの人々が高慢のために「貧しい者から奪」うようになると教えています(2ニーファイ28:13)。「華やかな衣」やそのほかのぜいたくへの願望は,わたしたちが貧しい人々に気を留めるのをどのように妨げるでしょうか。わたしたちは物質的また霊的に恵まれていない人々をどのように助けることができるでしょうか。
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ニーファイによると,末日の多くの人々は主の言葉に対してどのような態度を執るでしょうか(2ニーファイ28:20,28参照)。神の言葉はどうしてしばしば「〔多くの人々を〕善いことに対して怒らせる」ことになるのでしょうか。
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ニーファイは,サタンは人々をなだめ「欺いて現世での安全を確信させる」と預言しています(2ニーファイ28:21)。現世での安全とは何でしょうか(「現世」という言葉は肉を指している。現世での安全を得るとは,肉の欲に従うことに安全を見いだす,つまりこの世の物質または考えに頼るということである)。現世での安全に満足することは,どのようにわたしたちを悔い改めから遠ざけるでしょうか。「巧みに……誘い落とす」という言葉から,サタンの策略についてどのようなことが分かるでしょうか(2ニーファイ28:21)。
ジェームズ・E・ファウスト長老は,次のようなたとえ話を紹介している。「トーマス・R・ローワンは……述べています。『作家で評論家のマルコム・マガリッジ氏が次のような話をしました。生きたかえるが何の抵抗もせずにゆでられてしまった話です。なぜ無抵抗だったのでしょうか。なべに入れられたときは,ぬるま湯だったからです。ところが,水温はほんの少しずつ上がっていきました。少しずつ,少しずつ,温かくなっていきました。変化があまりに緩やかだったので,かえるはほとんど気づかずに,上がっていく温度に順応していきました。そこでついに手遅れになったのです。マガリッジ氏の言わんとすることはかえるではなく,わたしたちについてです。わたしたちには,突然ショックを与えるようなものでないかぎり,悪を受け入れてしまう傾向があります。そして,すでに容認している悪よりもほんの少し悪いことであれば,道徳的に低いものであっても受け入れてしまいがちなのです。』」(National Press Club Forum)
この話を紹介した後,ファウスト長老はこのように述べている。「このような緩やかな過程については,すでに古代の預言者たちが預言しています。」(「聖霊の賜物--正しい羅針盤」『聖徒の道』1989年7月号,34)
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ニーファイはサタンが人々に「へつら〔う〕」方法についてどのように述べているでしょうか(2ニーファイ28:22参照)。どうしてサタンはわたしたちに悪魔や地獄はないと信じさせようとするのだと思いますか。モルモン書を学ぶことは,わたしたちが霊的に注意深く「シオンでのんきに暮らす」ことのないようにするうえでどのような助けになるでしょうか(2ニーファイ28:24)。
エズラ・タフト・ベンソン大管長は次のように述べている。「〔モルモン書は〕キリストの敵をあばく……モルモン書は偽りの教義を打ち破り,論争を鎮めるものである(2ニーファイ3:12参照)。またそれは,謙遜にキリストに従う者たちが,今日の悪魔の企てや戦略,その教えに頑強に対応できるよう力を与えるものである。モルモン書の背教者のタイプは,今日のそれによく似ている。わたしたちが誤りを見抜き,今日の誤った教育や政治,宗教,哲学などの概念といかに闘ったらよいかその方法を知ることができるように,神は実に無限の先見の明をもってモルモン書を備えられたのである。」(「モルモン書は神の御言葉」『聖徒の道』1975年8月号,366-367)