イスラエル人たちが数十年にわたるバビロン捕囚からエルサレムに帰って見ると,故郷は廃墟と化していました。廃墟の中には,愛する神殿もありました。しかし,神殿を再建しないまま,15年がたちました。ハガイ1章を読むと,神が彼らを喜ばれなかったことが分かります。
主は,御自分の家を「再び建てる時は,まだこない」と人々が考えていることを叱責されました(2節)。主の家を再建せずに,自分たちは「板で張った」(快適でぜいたくな)家に住んでいたからです(4節)。
「あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい」と主は言われました(5節)。
現代の言葉で言うと,「少し時間を取って,自ら選んで行ったことについて考えてみなさい。それは,あなたにとって良いことですか」となるのではないでしょうか。
イスラエルの民は,物事があまりうまくいっていないことを認めざるを得ませんでした。幾ら種を植えても満足な収穫が得られず,食べても飲んでも満腹にはなりません。服を持ってはいても,寒さをしのぐことはできず,お金を稼いでも,ポケットに穴があるかのようにそれはなくなっていったのです(6節参照)。
なぜそんなことになったのでしょうか。主の宮をないがしろにしながら,「おのおの」が「自分の家の事」にかかり切りだったからです。「それゆえ,あなたがたの上の天は露をさし止め,地はその産物をさし止めた」と主は言われました(9-10節参照)。
さて,わたしたちの人生では,必ずしも何か間違ったことをしたから問題が起こるとはかぎりません。しかし,物事がうまくいかないときには,「自分のなすべきことをよく考える」のが賢明です。生活の中でもっと主に助けていただいて,主から祝福を受け,重荷を軽くしていただくようにする方法はありますか。自分の生活の中で神に勝利を得ていただくと,人生が楽になるわけではないにしても,神がおられない人生より楽になることは,確かです。