2000–2009
断食の律法
2001年4月


断食の律法

「断食に心からの祈り加わるわると、それは力強いものとなります。自らの思いをの啓示で満たすことができます。そして誘惑を受けるときに、それらに対抗するようわたしたちを強めてくれます。」

愛する兄弟姉妹の皆さん、皆さんと同様に、わたしはデビッド・B・ヘイト長老について彼が教会全体と非常に大勢の人々のために霊感を受けていると思っています。

2,000年前、ガリラヤの砂と石の道を歩いた一人の人がほんとうは何者であられるかを知る人はほとんどいませんでした。その御方こそ、世の創造主、贖い主、神の御子であられたのです。

一人の律法学者がイエスに尋ねました。「どのいましめがいちばん大切なのですか。」

イエスはこう答えられました。「「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。』

これがいちばん大切な、第一のいましめである。

第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』

これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている。」1

主は預言者ジョセフ・スミスを通して、人々の間に再び御自身の教会を確立されました。この末日に地上に回復された末日聖徒イエス・キリスト教会は、救い主が最も大切であると宣言された、天父を愛し隣人を愛せよという戒めを核としています。救い主は言われました。「あなたはわたしを愛するならば、わたしに仕え、わたしのすべての戒めを守るべきである。」2 わたしたちの愛を表す一つの方法が断食の律法を守ることです。この律法は、謙遜に実行するという、基本的でありながら深遠な原則を基としています。すなわち、正しい精神をもって実行するならば、それはわたしたちを天父に近づけ、信仰を強めると同時に、ほかの人々の重荷を軽くする助けとなるのです。

末日聖徒イエス・キリスト教会において、会員たちは信仰を特別に強める必要があるときにいつでも断食するよう、また毎月1度の断食日に定期的に断食するよう勧められています。わたしたちはこの日、続けて2回の食事の飲食を断ち、天父と心を通わせ、貧しい人を助けるために断食献金を納めます。この献金は食事を取っていればかかったであろう費用を最低の目安とします。一般には毎月の第1日曜日が断食日曜日として指定されています。身体上可能な会員たちはこの日に断食し、祈り、福音が真実であることにあかしついて証を述べ、惜しみない断食献金を納めるよう勧められています。ミルトン・R・ハンタ一長老はこのように教えています。「断食の律法の起源は恐らく、人類の家族の起源にまでさかのぼることができると思われます。……いにしえの時代に預言者である指導者たちは教会員に対して繰り返し、断食と祈りの律法を守ることを戒めとして与えました。」3

断食は必ずと言ってよいほど祈りと結びついて聖文に記されています。祈りのない断食は完全な断食ではなく、単に空腹になるだけにすぎません。断食を食物を取らずに済ます以上のものとしたいのであれば、心と思いを高め、声を上げて天父と交わらなければなりません。断食に心からの祈りが加わると、それは力強いものとなります。自らの思いを御霊の啓示で満たすことができます。そして誘惑を受けるときに、それらに対抗できるようわたしたちを強めてくれます。

断食と祈りはわたしたちの勇気と自信を増し加える助けとなります。人格を強め、自制と自己修養を高めることができます。義にかなった祈りと嘆願は断食によっていっそう大きな力を持つことがしばしばあります。証が強くなります。霊的にまた情緒的に球熟し、心を清めるものとなります。わたしたちは断食する度に少しずつ、この世的な欲望と感情をコントロールする力を得ていくのです。

断食と祈りは家族の中で、日常の仕事において助けになります。教会の召しを尊んで大いなるものとするための力を与えます。エズラ・タフト・ベンソン大管長はこのように教えています。「あなたが定員会の新しい会長として、新任の高等評議員として、新しい監督として、〔また扶助協会の会長にも言えると思いますが、)自分の職と召しにどのような姿勢で取り組むべきか知りたいと思うならば、一定の期間断食してみてください。1食を抜いて、次の食事で2倍の食物を取る断食ではありません。わたしが言うのは、断食の間祈りをささげる、ほんとうの断食です。これによって、あなたは、職と召しに対する正しい姿勢を知り、御霊があなたを通して働きかける環境を作り出すことでしょう。これ以上の方法をわたしは知りません。」4

預言者ジョセフ・スミスはこのように教えました。「あらゆる聖徒の〔模範〕としようではありませんか。そうすればパンに事欠くようなことは決してないでしょう。貧しい人が飢えていたら、食物を持っている人々に、1日断食し、食べるつもりであったものを貧しい人に与えるために監督に差し出すようにしてもらってください。そうすればすべての人が長い間満ち足りることでしょう。……すべての聖徒が楽しげな心と表情をもってこの原則に従うならば、彼らは常に満ち足りることでしょう。」5

モルモン書の預言者たちは断食の律法について教えています。「さて見よ、主が再び敵の手から救ってくださったので、ニーファイの民は非常に喜び、主なる神に感謝をささげた。そして、彼らは大いに断食し、大いに祈り、非常に大きな喜びをもって神を礼拝した。」6

断食と祈りを結びつけることによって、大きな力を発揮した例がモーサヤの4人の息子たちに見られます。彼らは非常に強い抵抗に遭いましたが、奇跡を起こして数千人のレーマン人に真理の知識をもたらしました。彼らは成功の秘訣ひけつを明らかにしています。「聖文を……調べて」、「しばしば祈り、また断食もした……。」どのような結果をもたらしたでしょうか。彼らは「預言の霊と啓示の霊を受けていた。そして、教えるときには、神の力と権能をもって教えた。」7

兄弟姉妹の皆さん、わたしたちは断食すると空腹を感じます。そして、短い間ですが、文字どおり飢えて、乏しい状態に自分を置きます。これによって、貧しい人々が感じる窮乏がどのようなものかをもっと理解することができます。人々の苦難を軽くするためにささげ物を監督に差し出すとき、わたしたちは人々のために崇高なことをしているだけでなく、自分に対してもすはらしいことを行っているのです。ベニヤミン王は、わたしたちが貧しい人に物質を与えるときに、「日々罪の赦しを」受けていると教えました。8

モルモン書の預言者であるアミュレクは、乏しい人に背を向けていたら、わたしたちの祈りには何の力もないと説明しました。9 もし、天父があなたの嘆願に耳を傾けてくださらないと感じたら、あなたは周りにいる貧しい人、飢えている人、苦しんでいる人の叫びに耳を傾けているかどうかを自問してください。

ある人たちは援助が必要な人々が世界中にひしめいている様子を見て、「この状態を変えるために自分に何ができるだろうか」と考えています。

あなたにできることを一つ率直にお話しします。断食の律法に従い、借しみない断食献金を納めることです。

断食献金は、たた一つの目的のために使われています。それは、援助を必要としている人々に恵みをもたらすことです。断食献金として監督に納められたお金はすべて貧しい人々を助けるために使われます。献金額が地元の必要を上回るものであれば、余剰金はほかの地域の必要を満たすために回されます。

わたしは主イエス・キリストの使徒として、主を証するために全世界を旅してきました。今、皆さんの前で証したいと思います。それは、天父の無数の子どもたちの受けている苦難と必要に関する証言です。今日の世界では、無数の家族が困窮の毎日を過ごしています。彼らは飢えています。寒さに凍えています。病に苦しんでいます。親は子どもたちについて悲嘆に暮れています。家族の安全を心から欲しています。これらの人々は異国人でも宿り人でもありません。天父の子どもたちです。わたしたちの兄弟姉妹です。彼らは「聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族」なのです。10 苦しみが一時治まり、安らぎが与えられるよう求める彼らの熱烈な祈りが天に達しています。今日この瞬聞に、自分たちを取り囲んでいる苦しみを乗り越えられるように奇跡を求めて祈っている教会員がいます。わたしたちにそれを行う手段がありながら、彼らに憐れみを寄せることもなく、援助の手を差し伸べないとすれは、預言者モロナイが次のように述べた人々と同じ存在となる危険を冒しています。「見よ、あなたがたは、貧しい人と乏しい人、病人と苦しんでいる人を愛する以上に、金銭や財産、華やかな衣服を愛し、あなたがたの教会を飾ることを大切にする。」11

ワードの監督だったわたしの父は、わたしの小さな赤い荷車に食べ物と衣類をいっぱいに載せると、執事だったわたしに荷車を引いてワードの助けを必要とする家庭を一軒一軒訪問するよう指示しました。そのことをいまだに忘れることかできません。

断食献金が底を突いてしまうことがよくありました。そのようなときに、父は自分の群れの中にいる乏しい人々が飢えることのないように、自分のボケットからお金を取り出し食物を手に入れて配っていました。当時は大恐慌の時代で、多くの家族が苦しんでいました。

特に、ある家族を訪れたときの経験が記憶に残っています。母親は病気で、父親は失業して気力を失い、5人の子どもたちは青白い顔をして落胆し飢えていました。小さな荷車にあふれるほどの必需品を積んで彼らの家を訪れたときに、彼らの顔が感謝で輝いていたのを覚えています。子どもたちの笑顔は忘れられません。母親は泣き崩れ、父親は言葉もなく立ち尽くして、ただ頭を深々と下げていた光景が目に焼きついています。

この時代に受けた印象とそのほか多くの経験から、わたしの心には、貧しい人々に対する愛、群れの羊飼いとして奉仕した父への愛、苦しんでいる人々を慰めるために多くの犠牲を払った忠実で寛容な教会員に対する愛が深く刻まれています。

兄弟姉妹の皆さん、ある意味で皆さんもあふれるほどの希望を積んだ荷車を、援助を必要とする家族のもとへ届けることができます。どのようにして行えるでしょうか。惜しみない断食献金を納めることによって可能となります。

両親の皆さん、正しい断食がもたらす喜びを子どもたちに教えてください。どのように教えたらよいでしょうか。それは、福音のあらゆる原則と一緒です。あなたがそれに従う模範を子どもたちに見せるのです。それから、子どもたちが少しずつ断食の律法に従うよう助けます。子どもたちは断食して、もし望むならは断食献金を納めることができます。断食を教えることによってあなたは、人生の旅路で待ち受ける誘惑を退ける力を子どもたちに与えることができるのです。

断食献金としてどれくらいの額を納めるべきなのでしょうか。兄弟姉妹の皆さん、貧しい人々を祝福するためにどれほどささげるかは、天父に対する感謝の尺度となります。豊かに恵まれてきたわたしたちは、わたしたちの助けを必要としている人々に背を向けるつもりでしょうか。惜しみなく断食献金を納めることは、ほかの人々の苦しみを和らげるために自分を奉献する意志の尺度となるのです。

わたしが伝道に出るときにワードの監督であり、後に副管長を務めたマリオン・G・ロムニー兄弟はこのような勧告を与えています。「惜しみなく与えてください。そうすることであなたがた自身が成長できるでしょう。貧しい人々のためにだけ与えるのではありません。あなたがた自身の幸福のためにも与えるのです。自分の財産や時間をささげることによってあなたがた自身を神の王国にささげることができるよう、十分に与えてください。」12

教会の執事には、あらゆる会員の家庭を訪れて貧しい人々のための断食献金を集めるという神聖な義務があります。トーマス・S・モンソン副管長はあるとき、若い監督だった時代にワードの若い執事たちが断食献金を集めるために早起きしなければならないことについて不平を漏らしているのをどのようにして気づいたかについて話してくれました。この賢明な監督は、召しを果たすよう強いるのでなく、ソルトレーク・シティーのウェルフェアスクウェアへ彼らを連れて行きました。

少年たちはそこで、電話交換機を操作している体の不自由な女性を見ました。缶にラベルをはっている目の不自由な男性、棚に品物を並べている年老いた兄弟を見ました。モンソン副管長はこのように述べています。その光景を見た後、「少年たちは何も言わず、ただ黙っていました。彼らは、自分たちが毎月集める断食献金がどのように困っている人々の役に立ち、雇用の機会がなければ怠惰に過ごしていたかもしれない人々に対し、労働の機会を与えるのにいかに役立っているかを自分の目で確かめることができたのです。」13

教会員であるわたしたちには、助けを必要としている人々を助け、重荷を軽くするという神聖な責任があります。断食の律法を守ることによって、あらゆる国のあらゆる人々を助けることができます。ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこのように尋ねています。「世界中で断食日と断食献金が守られたらどのようなことが起きるでしょうか。飢えた人々が食物を得、裸の人々が衣服を身に着け、家のない人々に住む場所が与えられるでしょう。……思いやりと無私の精神が至る所で人々の心にわき上がるでしょう。」14

正しい精神で、主の方法によって行う断食は、わたしたちを霊的に活気づけ、自制心を強め、家庭に平安を満たし、喜びによって心を軽やかにし、誘惑から守り、逆境に備え、天の窓を開きます。

断食の律法を守る人々に預言されている豊かな祝福に耳を傾けてください。「あなたが呼ぶとき、主は答えられ、あなたが叫ぶとき、『わたしはここにおる」と言われる。……主は常にあなたを導き、良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ〔られる。〕……あなたは潤った園のように、水の絶えない泉のようになる。」15

断食の律法を守るときに、祈りによって神に近づくだけでなく、飢えた人に食物を与え、貧しい人を助けることができます。この律法に従う度に、「律法全体と預言者とが、かかっている」16 二つの大いなる戒めをわたしたちは成し遂げているのです。

わたしはキリスト・イエスが生きておられることを知っています。ゴードン・B・ヒンクレー大管長はわたしたちの預言者、聖見者、啓示者です。これが真実であることを厳粛に証します。また、主は「これらの最も小さい者」17 を隣れんでおられ、「弱い者を助け、垂れている手を上げ、弱くなったひざを強め〔る〕」18 人々を今日、愛と憐れみをもって見ておられることを証します。

わたしはかつての偉大な使徒たちと声を合わせて証し、約束します。すなわち、断食の律法を守る人々はこの聖なる原則に伴う豊かな祝福を必ずその目で見ることでしょう。わたしはこれをイエス・キリストの御名によって厳粛に証します。アーメン。

  1. マタイ22:37-40

  2. 教義と聖約42:29

  3. Will a Man Rob God?(1952年)、207-208

  4. Teachings of Ezra Taft Benson(1988年)33]-332

  5. History of the Church、第7巻、413

  6. アルマ45:1

  7. アルマ17:2-3参照

  8. モーサヤ4:26

  9. アルマ34:28参照

  10. エペソ2:19

  11. モルモン8:37

  12. 「断食の律法」「聖徒の道』1982年12月号、4

  13. 「主の道」『聖徒の道』1978年2月号、9参照

  14. 「教会の現状」「聖徒の道」1991年7月号、56-57

  15. イザヤ58:9-11

  16. マタイ22:40

  17. マタイ25:40

  18. 教義と聖約81:5