アイリング管長,「アメリカの十字路」における神殿を奉献する

提供者: サラ・ジェーン・ウィーバー,チャーチニュース編集補佐

  • 2015年9月7日

十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老(右)とともに定礎式に参加するヘンリー・B・アイリング管長とその娘エリザベス・ピーターズ。  写真/サラ・ジェーン・ウィーバー

インディアナ州インディアナポリス

州内を数々の重要な道路や鉄道,水路が交差することから,インディアナ州は長年「アメリカの十字路」と称されてきた。

この呼び名は,交通拠点としてだけでなく,異なる文化や環境,信仰を有する土地からやって来た人々の集合地でもある中心地を表していると,これまで23年間インディアナ州で暮らしてきたポール・H・シンクレア長老は言う。

「単なる地図上の十字路ではありません」と,シンクレア長老は州内の民族的,宗教的,文化的多様性に敬意を表しつつ述べた。インディアナ州にやって来る人々が持つ経験が,この地の伝統を強めている。

そのことがこの州を,120か国もの異なる国々の出身者の故郷と「非常に豊かな生活の場」にしていると,長老は説明する。

8月23日(日曜日),インディアナ州インディアナポリス神殿の敷地に集まる教会員たち。ヘンリー・B・アイリング管長がこの新しい神殿を奉献した。写真/サラ・ジェーン・ウィーバー

2015年8月23日(日曜日)の朝,インディアナ州インディアナポリス神殿の定礎式に参加するケント・F・リチャーズ長老とヘンリー・B・アイリング管長。写真/サラ・ジェーン・ウィーバー

2015年8月23日(日曜日),インディアナ州インディアナポリス神殿の前で,孫娘のエブリン・ピーターズ(7歳)から歓迎の挨拶を受けるヘンリー・B・アイリング管長。写真/サラ・ジェーン・ウィーバー

 

8月23日に行われた3回にわたるセッションで奉献されたインディアナ州インディアナポリス神殿は,今やインディアナ州の豊かな文化と歴史の一部となろうとしている。

「当神殿はこの十字路の州で,そうした集合地の一つとなるでしょう」と,地域七十人で地元の神殿委員会の議長であるシンクレア長老は述べた。「いたる所から,人々が〔この神殿に〕やって来るからです。」

大管長会第一顧問のヘンリー・B・アイリング管長が,この3万4,000平方フィート(3,159平方メートル)の神殿を奉献した。当神殿はインディアナ州における最初の神殿であり,世界中で儀式が執行されている神殿の148番目にあたる。

インディアナ州カーメルに位置する当神殿は,2010年10月の総大会でトーマス・S・モンソン大管長によって発表され,2012年9月に現地で建設が始まった。この神殿は9つのステークからやって来る3万人以上の末日聖徒に利用されることになる。

神殿が奉献される前に,アイリング管長は神殿の敷地に集まった教会員に挨拶し,神殿の隅石にモルタルを塗った。アイリング管長とともに,十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老をはじめとする中央幹部らが同席した。

七十人で教会の神殿部管理ディレクターを務めるケント・F・リチャーズ長老が群衆に向かい,この隅石は「わたしたちが行う全てにおいて隅の頭石であられるイエス・キリストを象徴するものです」と述べた。

シンクレア長老が言うには,地元の神殿委員会は教義と聖約101:64を新しい神殿のテーマとして採択した。「それは,わたしの聖徒たちの集合の業が続いて,わたしがわたしの名のために聖なる場所に彼らを築き上げることができるようにするためである。」

この神殿はこのアメリカの十字路に集まった人々にとって祝福となり,「主と主の名のためにこの聖なる場所にやって来る人々を真に築き上げるもの」であると,長老は述べた。

インディアナ州は長年にわたり,末日聖徒にとっての集合の地であった。

1831年に宣教師がインディアナ州に到着し,教会員のグループを組織した。1832年には,ジョセフ・スミスもグリーンビルを訪れた。

「1840年半ばまでは,インディアナ州の30の郡に活発な支部がありました」と,現在神殿会長会の一員であり,神殿委員会で妻のマルタとともに歴史部会の共同議長を務めるコイ・ミスキンは述べた。

しかし,会員らが西へ移動して行った1840年の終わり頃までには,インディアナ州に残った会員数はほんのわずかになったと,コイ兄弟は付け加えた。

1927年に最初の集会所が建設されるまで,当州に再び注目を引く教会が存在することはなかった。その後,1940年から1960年の間に,会員がインディアナ州に定住し始めるにつれて,当州の教会員数が増加した。インディアナ州で最初のステークが組織されたのは1959年のことであった。

ミスキン兄弟姉妹は,1978年にインディアナ州ウェストラフィエットに引っ越した。当時市内にあったワードは一つだったが,4年後にミスキン兄弟はインディアナ州ラフィエットステークの初代ステーク会長に任命された。

ミスキン家族は,ミスキン会長の先祖が,インディアナ州を去る前の1930年代に当州で教会に加わったことを知った。彼らは今,フージア州(訳注―インディアナ州の愛称)に転居して,「故郷であるインディアナ州」に帰ってきたと感じている。

インディアナ州インディアナポリス神殿の定礎式のために教会の指導者が隅石を封じる準備をする際に,心を高める音楽を演奏する末日聖徒の聖歌隊

スティーブン・トンプソンとルーサン・トンプソンは1965年に教会に加わった。

夫妻はBYU(ブリガム・ヤング大学)に通うためにユタ州に引っ越したが,トンプソン兄弟が神権の祝福で故郷の州に帰るよう促しを受けたとき,西部に留まる計画を立てていた。

2015年8月23日(日曜日),神殿の定礎式で演奏するインディアナ州インディアナポリス神殿地区の会員たち
写真/サラ・ジェーン・ウィーバー

1967年にトンプソン一家がインディアナ州クローフォーズビルに引っ越したとき,この地域には支部がなく,宣教師もいなかった。彼ら家族は,インディアナ州の教会が,会員数と地域社会からの敬意の両面で進展する様子を目の当たりにしてきた。

「わたしたちはその進展の一端を担い,大いに祝福を受けてきました」とトンプソン姉妹は言う。

シンクレア長老によると,トンプソン兄弟は神殿委員会で唯一インディアナ州出身のメンバーである。

「他の会員は,何がしかの理由でこの地に引き寄せられて来た人たちです」とシンクレア長老は述べた。

今後インディアナポリス神殿が,さらに他の人々をこのアメリカの十字路に引き寄せることだろうと,長老は言っている。

2015年8月23日,インディアナ州インディアナポリス神殿の外に立つ大管長会第一顧問のヘンリー・B・アイリング管長,十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老,その他の中央幹部

フージア州の末日聖徒は祝福されてこの数年に,オハイオ州コロンバス,ケンタッキー州ルイスビル,イリノイ州シカゴ,ミシガン州デトロイト,ミズーリ州セントルイスの各地に建つ多くの神殿に囲まれるようになったと,インディアナ州フォートウェインステークのラリー・シュマードとゲイリー・シュマードは述べた。

しかし,それらの神殿への旅には,相変わらず相当の犠牲が求められる。

この3年間,シカゴで儀式執行者として奉仕してきたシュマード夫妻は,各週末に神殿まで片道3時間から4時間かけて車を運転する。

インディアナ州の教会員は今,「数世代の人々の信仰と犠牲のおかげで」神殿の祝福を享受していると,シュマード兄弟は言う。

インディアナ州インディアナポリス神殿の外に立つヘンリー・B・アイリング管長とM・ラッセル・バラード長老

この新しい神殿の建築物は,インディアナ州および何世代にもわたりフージア州で教会を築き上げるために働いてきた人々に貢献している。

この建物には,インディアナ州の州木であるユリノキの花とインディアナポリスのニックネームであるサークルシティーを表す環をモチーフとした装飾が施されている。その尖塔が際立つ建物の建築様式は,インディアナポリスの中心街にある重要な幾つかの歴史的建物の様式を模したものである。

そうした象徴は,地元住民が神殿を自分たちのものであると気軽に言えるようにしている。

「この神殿はインディアナ州の神殿です」と,最初のセッションに出席したブレイデン・エンズ(15歳)は言った。「ただの神殿ではないんです。わたしたちの神殿です。」

8月23日(日曜日),インディアナ州インディアナポリス神殿の敷地に集まる教会員たち。大管長会第一顧問のヘンリー・B・アイリング管長が新しい神殿を奉献した。写真/サラ・ジェーン・ウィーバー

2015年8月23日(日曜日),祖父のヘンリー・B・アイリング管長がインディアナ州インディアナポリス神殿に到着するのを待つジョシュアとエリザベス・ピーターズの娘たちのエブリン(7歳),クラリッサ(5歳),ジェーン(2歳)。写真/サラ・ジェーン・ウィーバー