D・トッド・クリストファーソン長老
2008年4月5日,D ・トッド・クリストファーソン長老は末日聖徒イエス・キリスト教会十二使徒定員会の一員として召されました。使徒の召しを受けたときは,七十人会長会で奉仕していました。
七十人会長会に在職中,クリストファーソン長老は教会の北アメリカ西,北西,南東地域を管理する責任にありました。また家族・教会歴史部門の管理ディレクターとしても奉仕していました。それ以前,教会のメキシコ南地域会長としてメキシコシティーに住んでいました。
専任の教会中央幹部として召される前,クリストファーソン長老はノースカロライナ州シャーロットでネーションズバンク・コーポレーション(現バンク・オブ・アメリカ)の企業内副弁護士を務めていました。また,それ以前は,ナッシュビルのテネシー商業連合銀行(Commerce Union Bank of Tennessee )で常務および企業内弁護士を務め,地域活動や宗教を超えた様々な団体でも活躍しました。クリストファーソン長老は,「ウォーターゲート事件」として知られる裁判とその他の訴訟の期間(1972-1974年),合衆国地方裁判所判事ジョン・J・シリカの法務書記を務めた後,1975年から1980年までワシントンD.C.で弁護士として働きました。
クリストファーソン長老はユタ州アメリカンフォークで生まれ,ニュージャージー州の高校を卒業後,ブリガム・ヤング大学でエドウィン・S・ヒンクレー奨学生として学士号を取得。その後デューク大学で法学の学位を取得しました。
その他の召しでは,地区代表,ステーク会長,ビショップなどを歴任しました。青年時代,アルゼンチンで宣教師として奉仕しています。
クリストファーソン長老とキャサリン・ジェーコブ・クリストファーソン姉妹には5人の子供がいます。